伊東温泉(いとうおんせん)の歴史秘話

温泉の歴史秘話

徳川家光に療治の湯を献上した伊東温泉

 伊豆半島の東にあることからその名が付いた「伊東」。相模灘に注ぐ松川に沿った扇状地に広がる伊東温泉は、大型ホテルから老舗の和風旅館、家庭的な雰囲気の小ぢんまりとした旅館など様々な宿が個性を競う、我が国を代表する温泉地のひとつだ。また、江戸時代には3代将軍・徳川家光にいで湯を献上した歴史を持つ、由緒正しき温泉地でもある。

 「生まれながらの将軍」あるいは徳川家康の再来「二世権現」を自負して江戸幕府の権勢を大いに高めた家光は、慶安2年(1649)頃から病気がちになり、たびたび床に臥すようになる。翌年・慶安3年(1650)の正月には、腹中に腫れ物ができて痛みに苦しみ、まだ9歳の後継者・家綱に年賀の挨拶を代理させるほどの苦しみようであった。そして、同年4月の江戸城内紅葉山にある東照宮の参詣も家綱に代参させるなど、公の場に家光が姿を見せる事は極めて少なくなり、病状は深刻さを増す一方であった。

 そこで、家光の病を療するために試みられたのが、温泉による療養である。病身のため動く事のできない家光のために、温泉を汲み上げて江戸まで運び、沸かして湯治させるという方法が採用された。この時療養泉として選ばれたのが、伊東温泉の湯である。伊東温泉が選ばれた理由としては、大名のための湯治に使われていた実績が既にあった事、また漁師町でもある伊東では、徳川御三家のひとつ紀伊家の直営によるボラ漁が行われ、水揚げされたボラ(鯔)が献上品として将軍家の食膳を賑わすなど、元々徳川家と結びつきの深い土地であった事が挙げられる。ちなみに、ボラ漁のための「ぼら納屋」は地元の魚介類を供する料理屋として復興され、漁を見張る「魚見小屋」は今も残り、文化財に指定されている。

 いよいよ家光の温泉療養計画は実行に移され、使いの者により伊東温泉の湯が船で江戸へと運ばれた。この時、湯を運ぶのに使われた船は「お汲み湯送りの船」と呼ばれている。江戸に到着した湯は直ちに家光に献上され、温泉療養が行なわれた。果たして、その湯は期待以上の効果をもたらし、家臣たちを驚喜させる事となる。温泉療養を開始してからの家光の快復ぶりはめざましく、同年6月には、家光は治療にあたった典医たちをねぎらい、賜物するほどの快復を見せたという。湯触りが柔らかくクセのない湯治向きの湯質と、神経痛、リウマチ、婦人病、胃腸病など様々な疾病に効くとされる優れた泉質が、病身を効果的に癒したのであろう。湯治による家光の快復は、伊東温泉の名を天下に知らしめるのに一役買った。「公方様の病を癒したいで湯」とくればこれに優るPRはない。この評判が城下の江戸の庶民にまで広がり、以降、伊東は湯治場として賑わうようになった。

 家光に献上された湯は、伊東温泉でも長い歴史を誇る『伊東三湯』のひとつで、今も共同浴場として名を馳せる「和田湯」の源泉であった。共同浴場「和田湯」の歴史は江戸時代以前にまで遡り、江戸開府より5年前の慶長3年(1598)、地元の名主・下田氏によって「和田湯」の湯小屋が建てられたのが始まりである。以来、「伊東の湯」または「大湯」と言えばそのまま「和田湯」のことを指すほどに広く名を馳せ、他の浴場に抜きん出た高い格式を誇った。「和田湯」は今でも、共同浴場「和田湯会館」として健在。正面には『江戸幕府将軍献上の湯 大名方入湯 伊東最古の歴史を誇る 和田の大湯』という看板が誇らしく掲げられている。時の将軍・家光を癒した事でその評判はゆるぎないものとなり、今もその歴史と泉質に惹かれて訪れる人々が後を絶たない。

 現在、伊東温泉には、昔懐かしい共同浴場が「和田湯」を含めて10軒も点在。かつての湯治場の流れを汲むこれらの共同浴場は、巨大な温泉観光都市となりながらも、一方では俗化する事なく古き良き温泉街の風情を守り続ける伊東の象徴でもある。時代を超えてなお失われる事のないその情緒は、かつて将軍にいで湯を献上した誇りに裏付けられたものと言う事ができよう。(文・/二木三介)

【人物紹介】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━……・・・

《徳川家光(とくがわ いえみつ)》[1604〜1651年]
江戸幕府3代将軍。2代将軍・徳川秀忠の世継となる待望の男子として出生、祖父で初代将軍・徳川家康の幼名をとって「竹千代」と名付けられる。16歳で元服、「家光」と名のり、20歳で将軍に就任する。将軍就任後は幕府職制の整備、参勤交代制や鎖国体制の確立など、強力で絶対的な支配体制を敷いた。また、祖父家康を崇拝してやまず、家康を祀る日光東照宮の社殿を現在残るような豪華絢爛たる建物に改築させたことでも有名。
伊東温泉全景
上空から見た伊東温泉。伊豆半島東部に広がる相模湾沿いの温泉地である。
街並み
昔懐かしい温泉街の風景。点在する10軒の共同浴場で外湯めぐりを楽しむ人も多い。
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