越後湯沢温泉(えちごゆざわおんせん)の歴史秘話

温泉の歴史秘話

越後湯沢に残る名作『雪国』の面影

新潟県の最南端、南魚沼郡湯沢町にある繁華な温泉地、越後湯沢温泉。かつては、関東から三国峠を越えて越後に入る三国街道(現・国道17号線)に沿って、3軒の湯宿が並ぶ静かな温の里だった。ところが、近代になって鉄道(上越線)が開通すると、雪国情緒あふれる鄙びた風情に魅かれた東京方面からの湯客で賑わうようになる。
この湯の里に、後にノーベル賞作家となる川端康成が訪れたのは昭和9年のこと。それ以後3年間にわたり滞在し、かの名作『雪国』は発表することになる。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であつた。夜の底が白くなつた。信号所に汽車がとまつた」。この有名な書き出しで始まる物語は、国境のトンネルを通ってこの地に降り立った主人公の島村と土地の温泉芸者である駒子を中心として展開してゆく。冒頭の「国境の長いトンネル」とは、もちろん現在の上越新幹線が通る大清水トンネルではなく、小説発表の4年前に開通したばかりだった上越線の清水トンネルのこと。この上越国境の山腹を貫く全長約9,702mのトンネルが開通したことで、上野から新潟までの時間は4時間近くも短縮され、東京周辺の人々にとって越後の雪原はぐっと近いものになったと言われる。

とはいえ当時の越後湯沢温泉は、まだ東京からの湯客にとって物珍しい雪国風情豊かな湯の町だった。作中では特に温泉の名称は出てこないが、至る所に湯沢の街並みが登場する。「客用のスキイが干し並べてある、そのほのかな徴の匂いは、湯気で甘くなつて、杉の枝から共同湯の屋根に落ちる雪の塊も、温かいもののやうに形が崩れた」とは、急な坂を登って行く木造の湯元共同浴場。「女はふいとあちらを向くと、杉林のなかへゆつくり入つた。彼は黙つてついて行つた。神社であつた。苔のついた狛犬の傍の平な岩に女は腰をおろした。『ここが一等涼しいの。真夏でも冷たい風がありますわ』」。この神社こそ温泉街北側の諏訪神社のことで、島村と駒子が腰を下ろした岩は「恋語りの石」として、今も境内にひっそりと置かれている。また、駒子のモデルとなった女性は実在し、平成11年まで存命していたことも確認されているという。

現在、JR「越後湯沢駅」東口の主水公園では冒頭の一文を刻んだ「雪国文学碑」が出迎えてくれ、康成自身が逗留し作中でも描いた湯宿「雪国の宿 高半」も健在。館内には、康成が執筆した部屋「かすみの間」が保存公開されており、併設の「雪国文学資料室」では『雪国』に関する貴重な資料が紹介されている。

昭和57年の上越新幹線開通によって、東京〜越後湯沢間の所要時間は最速で約1時間10分まで短縮され、今では日帰りで訪れるスキー客も珍しくない。多くの観光客やリゾート客が押し寄せるようになり、温泉街も大型ホテルとリゾートマンションが林立する都会的な街並みへと姿を変えた。
だが、華やかな温泉街に点在する作品ゆかりの場所をそぞろ歩けば、そこに確かに島村と駒子、そして康成の足跡を見ることができる。そして、国境のトンネルを抜けると目に飛び込んでくる雪に覆われた越後の山々は、『雪国』の時代と変わらぬ感動を今の我々にも与えてくれている。

【人物紹介】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━……・・・
■≪川端康成(かわばた やすなり)≫[1899〜1972年]
大阪府出身の小説家。東京帝国大学卒。菊池寛に認められて文壇入りし、新感覚派の代表として活躍した。代表作に『伊豆の踊り子』『雪国』『古都』など。1968(昭和43)年、日本の作家として初めてノーベル文学賞を受賞した。
越後湯沢温泉
「雪国の宿 高半」内にある「雪国文学資料室」では貴重な資料が公開されている
越後湯沢温泉
川端康成が『雪国』を執筆した「雪国の宿 高半」の「かすみの間」
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