岳温泉(だけおんせん)の歴史秘話

温泉の歴史秘話

智恵子が求めた「ほんとの空」をいただく安達太良山と岳温泉

 《智恵子は東京に空がないと言ふ、/ほんとの空が見たいと言ふ。/……/阿多多羅山の山の上に/毎日出ている青い空が/智恵子のほんとの空だという。》

 彫刻家・詩人として活躍した高村光太郎の詩集『智恵子抄』の中でも特に名高い、「あどけない話」の一節である。“阿多多羅山の山の上に毎日出ている青い空”とは、福島県の中通りと会津をへだてる名峰・安達太良山(あだたらやま)一帯の空のこと。この“ほんとの空”をいただく安達太良山の東の中腹に、岳温泉が湧き出ている。

 「智恵子」つまり光太郎の妻で画家の高村智恵子は、安達太良山をはるか西に望む福島県安達郡油井村(現在の二本松市)に生まれ育った。裕福な造り酒屋・長沼家の長女として生まれた智恵子は、幼少より利発で知られ、地元の高等女学校から日本女子大学校へ進学。在学中には、洋画家(油絵)を志すとともに、後に女性解放運動家として活躍する平塚らいてうと知り合う。らいてうが当時としては画期的な女性文芸誌『青鞜』を創刊すると、智恵子も参加。創刊号の表紙を飾ったのは、智恵子の手によるギリシャ風の女性の立像の絵だった。当時、彼女は時代を先駆ける「新しい女」として脚光を浴びていた。

 ほぼ同時期に、新進の彫刻家として活躍していた光太郎と出会う。2人は何度か会ううちに互いに運命的な縁を感じとり、大正3年(1914)に結婚。はじめは芸術家同士として互いを尊重し充実した結婚生活を送っていたが、やがて暗い影がしのび寄る。生活の窮乏、彼女の理解者だった父の死。実家を継いだ弟は散財して、家業・家運を傾かせてしまう。さらに智恵子自身も病気がちになり、1年のうち3〜4か月を二本松の実家で過ごすようになった。そして何より、智恵子本人の画家としての創作が行き詰まっていく。
 《あれが阿多多羅山、/あの光るのが阿武隈川。》
この一律で始まる詩「樹下の二人」(『智恵子抄』所収)。療養をかねて、智恵子と光太郎の2人で帰省した時の散策体験をもとに、微妙な心境を詠んだものだった。

 昭和4年(1929)には実家の長沼家が破産、一家が離散。昭和6年、ついには智恵子が統合失調症を発症。翌年、自殺未遂にいたる。次々と起こる不幸と重圧に苦悩を深める中、発せられた彼女の一言が「東京に空がない…」だったのだ。
 昭和8年、光太郎は智恵子の精神の病の治療のために家財を売り払い、東北各地を旅して廻る。2人は、当時の封建的な家族制度にはあらがって未入籍で事実婚のままだったが、途中、智恵子の本籍がある油井村の役場で入籍。病める智恵子へ“ほんとの空”を見せてあげようという光太郎の思いやりであると同時に、智恵子のすべてを引き受けるという光太郎の覚悟の表れでもあった。

 光太郎の惜しみない愛情と献身にもかかわらず、昭和13年(1938)、智恵子は前々から患っていた粟粒性肺結核で他界。ひとりの人間として、また芸術家としても必ずしも幸福とはいえなかった智恵子の人生だったが、3年後の昭和16年8月、光太郎が智恵子との出会いから恋愛・結婚・罹患・死別までを叙情的に歌い上げた『智恵子抄』によって甦る。太平洋戦争下の暗く殺伐とした世相にあって、なお人間的なものを失いたくないと願う人々によって読みつがれ、ベストセラーとなって版を重ねていった。

 人手に渡っていた智恵子の生家は奇跡的に残り、現在は智恵子が育った当時のままに復元され「智恵子記念館」として公開されている。作品の油絵・紙絵も展示されており、彼女の心の軌跡をたどることができる。光太郎が智恵子との語らいの中から「樹下の二人」を詠んだ鞍石山の丘は、「智恵子の杜公園」に整備された。2人が望んだであろう安達太良と阿武隈のパノラマも、もちろん広がっている。

 今なお、智恵子の「東京に空がない」「ほんとの空が見たい」という言葉に我々が何かドキリとさせられるのは、日々の生活の中で大事なもの、本当のものを喪いがちではないかということを突きつけられるからではないだろうか。
 智恵子の実家と安達太良山の頂上を結ぶ東西の線の間に広がる安達太良高原に湧き出る岳温泉。智恵子が見たいといっていた安達太良山一帯の“ほんとの空”を、ぐっと間近に望むことができる。そして「そは地の底より沸きいづる貴くやわらかき温泉〔いでゆ〕」(『智恵子抄』所収「郊外の二人」)に身をひたせば、日常の中で忘れがちなものを取り戻すことができそうな気がしてくる。(文・/二木三介)

【人物紹介】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━……・・・

■《高村光太郎(たかむら こうたろう)》[1883〜1956年]
彫刻家・詩人。父は「老猿」「西郷隆盛像」で著名な彫刻家・高村光雲。東京美術学校卒業後、彫刻を学ぶために欧米に留学、ロダンに傾倒する。彫刻の創作のほか、詩作・評論にも関わり「美について」「造形美論」などを著す。彫刻・詩ともに男性的な作風が特徴。主な彫刻作品に「手」「黒田清輝像」、詩集に「道程」「智恵子抄」など。

■《高村智恵子(たかむら ちえこ)》[1886〜1938年]
洋画家。旧姓・長沼。現在の福島県二本松市の裕福な造り酒屋に生まれる。地元の高等女学校から日本女子大学へ進学。油絵を志して卒業後も研鑽に励み、明治44年(1911)には当時の画期的な女性誌『青鞜』創刊号の表紙を描き注目される。同年、高村光太郎と知り合い、1913年に結婚。しかし、身に降りかかる数々の不幸に苦悩して、1929年(昭和4)ごろに統合失調症を発症。晩年は、病の治療にあたりながら紙の切抜絵を制作した。
岳温泉
豊かな自然を抱きながらそびえる安達太良山系と、智恵子が求めた“ほんとの空”
岳温泉
安達太良山と“ほんとの空”に向かって延びる坂道沿いに続く岳温泉街
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