丹沢・中川温泉(たんざわ・なかがわおんせん)の歴史秘話

温泉の歴史秘話

戦国の息吹を感じさせる秘湯と「信玄館」

丹沢湖の北に注ぐ支流沿いに位置する中川温泉。その湯はアルカリ分を多く含み、「美人の湯」と称される。発祥は今から700年ほど前の南北朝時代といわれるが、温泉地として人々に知られ出したのは戦国時代のこと。当時、この地は中川城、河村城といった小田原城の支城が築かれ、北条氏康の支配下にあった。ただ、地元民はどうしたわけか武田(信玄)びいきであり、昔からこの温泉は「信玄の隠し湯」として言い伝えられてきた。確かに北の山を越えれば甲斐国(山梨県)。信玄は北条攻めの際に、このあたりに陣を張ったとのいい伝えもあり、「信玄平」なる地名まで残っている。

永禄12年(1569)10月、武田軍は2万余の軍勢で相模に侵攻、北条の本拠地・小田原城を包囲する。現在の中川温泉北東、桧洞丸と大室山の尾根道にある「犬越路」を通ったといわれるが、その名の由来は、山道のあまりの険しさに軍犬を先導させて峠を越えたという伝説によるものらしい。その路は、今では東海自然歩道のひとつとなっているが、2万もの大軍が通れたかどうかは疑問である。ともかく、この戦いで北条氏に対し武威を見せつけた信玄は、小田原城を攻める構えを見せただけで撤退。追撃してきた北条氏政の軍勢を丹沢山の北東、三増峠で散々に打ち破り、甲府へ帰還している。こうした北条軍との激突から、「中川温泉で武田軍の兵が傷を治した」「道志村から峠を越えて武田の兵が温泉に入りに来た」という伝説が生まれたようだ。

さて、中川温泉には現在5つほどの源泉があるが、1つを除いては昭和になってから発見されたもので温泉としては比較的新しい。そんな中、戦国時代から湧いていたという一番古い源泉を利用しているのが『戦国浪漫の宿・信玄館』である。創業は明治43年で、当時は他に旅館はなく、中川温泉の一軒宿として営業していた。その源泉地は、宿の玄関前にあって今なお湧き続けている。館内の風呂はもちろん、売店でペットボトルに詰めて販売している温泉水(1.5リットル300円)も、この井戸から直接汲み上げているものだ。浴場は男女別の内湯と露天風呂が1ヶ所ずつに、それぞれ趣の異なる家族風呂が3ヶ所。さらに、昔ながらの風情を残した混浴の露天風呂がある。脱衣所が男女別々で、岩風呂の中ほどまで仕切りがついているので、混浴としては比較的入りやすい。

現在の『信玄館』の建物は平成元年に建てられたもので、戦国の名残や創業当時の面影はないが、館内至るところに武田菱を使うなど歴史好き(とくに武田ファン)を喜ばせる意匠がなされている。客室には高遠城、野田城、戸石城といった信玄が攻略した城の名前がつけられていたり、ゲームコーナーの名前が「川中島」となっているのも面白い。ご主人の佐藤さん(4代目)は「信玄館の名は初代がつけました。歴史好きの方はもちろん、のんびりと何もしない一日を過ごしたい方には喜んでいただけると思います」と話す。7〜8軒の小さな旅館以外、飲食店すらない中川温泉。観光地化されていない秘湯としてひそかに注目を集めている。(文・写真/上野哲弥)


【人物紹介】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━……・・・
■≪武田信玄(たけだしんげん)≫ [1521〜1573年]
甲斐守護職・武田信虎の嫡男。彼の率いた騎馬軍団は天下無敵といわれ、諸大名を恐れさせた。また、甲斐、信濃、駿河をまたいだ領地は最大で100万石を超えた。上洛の途上、三方ヶ原の戦いにて徳川家康軍を一蹴するが、持病が悪化して死去。(53歳)

■≪北条氏康(ほうじょう うじやす)≫ [1515〜1571年]
通称新九郎。北条早雲の孫で、小田原北条氏3代目当主。天文10年(1542年)家督を継ぎ、相模・武蔵一帯を支配下に置く。上杉、武田の強豪を相手に遅れを取らず、領地を守り抜いた。生涯三十六度の合戦で一度も敵に背を見せなかった勇将としても名高い。


丹沢・中川温泉
昔ながらの趣を残した『信玄館』の混浴露天風呂
丹沢・中川温泉
戦国時代の将兵の傷を癒したという源泉が湧き続ける
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