南紀白浜温泉(なんきしらはまおんせん)の歴史秘話

温泉の歴史秘話

『日本書紀』『万葉集』に記された有間皇子の悲劇

 「日本三大古湯」として有馬温泉(兵庫県)、道後温泉(愛媛県)と並び称される南紀白浜温泉。飛鳥時代には、斉明天皇・持統天皇・文武天皇や中大兄皇子(後の天智天皇)といった皇族が行幸・入湯し、万葉を代表する女流歌人・額田王も訪れて和歌を詠んだ。『日本書紀』や『万葉集』には、「牟婁温湯(むろのゆ)」「紀の温泉(きのゆ)」として登場。平安時代以降は、紀伊半島南部の熊野三山に詣でる「熊野詣」が盛んになり、その往来の途中に都の皇族や貴族が訪れて入湯した記録が残っている。下って江戸時代には徳川御三家の歴代紀伊藩主、特に八代将軍になる前の徳川吉宗も湯治に訪れたという。江戸末期には庶民の湯治も増え、「村中六十余戸、皆浴客の旅舎となり飲食玩好歌舞の類に至るまで都会の地に羞ぢざる」(『紀伊続風土記』)ほどの繁栄を見せた。

 こうしたおよそ1,300年におよぶ歴史の中でも、南紀白浜温泉の名をいっそう不朽のものとしているのが、『日本書紀』に伝わる有間皇子の悲劇だ。

 大化元年(645)、中大兄皇子や中臣鎌足らが朝廷で専横をふるう蘇我入鹿を誅殺し、政治の一新を期した「大化の改新」が起こった。この時、新たに天皇として軽皇子(かるのみこ/孝徳天皇)が擁立されたが、政治の実権は中大兄皇子が握る。9年後の白雉5年(654)、孝徳天皇が没すると、聡明で聞こえた長男・有間皇子も皇位継承者として浮上。しかし中大兄皇子は、自分の母で一度退位した女帝・皇極天皇を斉明天皇として再び即位させ、なおも実権を持ち続けた。このことから、中大兄皇子と有間皇子との関係に微妙な亀裂が生じていく。

 そんな中、政争の煩わしさを逃れるために、有間皇子は“心の病”と偽って政治の表舞台から身を引き、牟婁温湯(現・南紀白浜温泉)に療養に赴く。病は嘘だったとしても、否応なく中大兄皇子と対立する立場に置かされた有間皇子の心中は憂鬱なものだったであろう。しかし、風光明媚な温泉地でのしばしの滞在により、皇子のふさいだ気持ちも晴れ、他人を疑う心も解きほぐれていく。

 「この地に来ただけで病も除かれる素晴らしい温泉です……」。
都に戻ると、斉明天皇に牟婁温湯の良さを伝えたという。ちょうどその時、斉明女帝は自分の孫(中大兄皇子の長男)である建王(たけるのみこ)が8歳で夭折して悲嘆にくれていた。それを癒す意味も兼ねて、中大兄皇子を伴い牟婁温湯へと行幸する。

 その行幸の間、有間皇子の邸宅に都の留守官・蘇我赤兄(そがのあかえ)が訪ねてきた。赤兄は「人民は斉明女帝と中大兄皇子の失政に苦しんでいる。今こそ挙兵する時です」と有間皇子にクーデターを進言。しかしこの2日後、赤兄の裏切りによって有間皇子は謀反の罪で捕らえられた。

 有間皇子は中大兄皇子が行幸していた牟婁温湯まで護送されることになる。謀反を尋問する中大兄皇子に対し、有間皇子は「私は何も知らぬ、全ては天と赤兄だけが知っている」と答えたが、数日後、数え19歳で紀伊国藤白坂(和歌山県海南市)で絞首刑に処された。

 有間皇子は本当に謀反を企てたのだろうか。真相は不明だが、皇子をそそのかしたはずの蘇我赤兄は罪を問われるどころか、後に左大臣にまで出世。そのため、この事件は中大兄皇子が政敵・有間皇子を粛清するための謀略だったという噂が当時から囁かれていた。

 《岩代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば また還り見む》
  ――岩代の松の枝と枝を引き結んだ。幸い無事だったらまた見ることもあろうか。
 《家にあれば 笥〔け〕に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る》
  ――我が家では器に盛るはずの飯も不自由な旅にあっては椎の葉に盛るのか……。

 『万葉集』に伝わる、有間皇子が牟婁温湯へ護送される時に自らの残酷な運命を哀傷して詠んだ挽歌(人の死や辞世にまつわる和歌)2首。松の木の枝と枝を引き結ぶこと(結び松)は、旅の安全を祈る当時のおまじない。もう生きて帰れない覚悟がうかがえる。

 有間皇子の悲劇は後代、多くの人々の同情を誘った。皇子が結び松をした「岩代の松」(和歌山県南部町)は、事件の後に名所となり、歌枕にもなった。南紀白浜温泉の景勝地「白良浜」を一望する白良丘には、皇子への敬愛と哀悼の意をこめて「有間皇子之碑」が建てられている。(文・/二木三介)

【人物紹介】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━……・・・

■《有間皇子(ありまのみこ)》[640〜658年]
大化の改新によって即位した孝徳天皇(軽皇子)の皇子。父と母・小足媛(おたらしひめ)が有馬温泉(兵庫県)に滞在している間に生まれたことから、名付けられたという。斉明天皇・中大兄皇子への謀反をはかったとの嫌疑をかけられ、牟婁温湯(現・南紀白浜温泉)にて絞首刑に処される。『万葉集』にその時の挽歌が2首伝わり、歴史上の悲劇の主人公として後代その名が知られている。
南紀白浜温泉
「湯崎七湯」にも数えられた崎の湯。1,300年の歴史を伝える。(提供・和歌山県)
南紀白浜温泉
斉明天皇創建と伝わる古社。境内に有間皇子神社や追悼の碑がある。(提供・和歌山県)
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