小湊温泉(こみなとおんせん)の歴史秘話

温泉の歴史秘話

日蓮生誕の聖地に湧く清水と温泉

小湊温泉は、漁師町であり日蓮聖人誕生の地に湧く温泉。町内に建つ数軒の宿に、内浦の森から湧き出る塩化物泉、誕生寺付近に湧き出る弱アルカリ性重炭酸ソーダ泉「満願の湯」が引かれている。

誕生寺の総門を入ると、参道の左側にある低い生け垣に大きな四角い井戸がある。これが日蓮が生まれたときに産湯に使ったとされる「誕生水」だ。日蓮が小湊の地で産声を上げたのは、1222(貞応元年)2月16日。この年、小湊では季節外れの蓮華が咲き、普段は海中深くに棲む鯛が海面近くに無数に集まっていたので、人々は「何か良いことが起こる前触れではないか」と話していた。

日蓮の父・貫名(ぬきな)重忠は土地の有力漁民であった。当日は身を清め、昇る朝日に向かって一心に妻・梅菊の安産を祈っていたところ、昼ごろに珠のような男の子が産まれた。この時、庭先に澄んだ泉が湧き出していたので、早速それを汲んで産湯に使ったという。この「誕生水」に加え、浜辺に時ならぬ青蓮華が咲いたので「蓮華ケ渕」、 海面に大小の鯛の群れが集まったので「鯛の浦」と名付けられた“三奇端”の地名は、すべて日蓮の誕生に由来するといわれる。

日蓮は幼名を善日麿と名付けられ、12歳までこの地で暮らした。善日麿はやがて勉学のため親元を離れ、房総随一の山にある清澄寺へ入った。その後正式に出家し、布教活動のため全国を行脚。何度か帰郷しているが、弘安5年(1282)に最期を迎えたのは武蔵国池上本門寺であった。

誕生寺は、直弟子の日家上人が建治2年(1276)、日蓮の生家跡に建立。現在よりやや東南の地にあったが、明応7年(1498)、元禄16年(1703)に起きた2度の大地震と大津波の天災に遭い、現在地に移された。その後、宝暦8年(1758)の大火により仁王門を残して全山が焼失してしまう。その後天保13年(1842)に49代目・闡上人が現在の祖師堂を再建し、国守の里見家、正木家より朱印を賜った。現在も日蓮宗の大本山として全国の信徒や観光客が参拝に訪れるのは周知の通りだ。

どんな日照りにも涸れることがなかった「誕生水」の井戸も、その2度の地震・津波によって日蓮誕生の旧地と誕生寺とともに海底に没した。しかし、誕生寺が現在地に再建されると、不思議なことに再び清水が涌き出したので、旧地を偲んで「誕生水」と名付けられ、日蓮誕生の奇瑞を今に伝えている。また、元の生誕地周辺の海底には、当時をしのばせる井戸の跡が今も残っているという。「誕生水」と温泉の関係は不明だが、聖地に湧く自然の恵みの有り難さは、今も昔も変わりはないようだ。(文・写真/上野哲弥)
小湊温泉
誕生寺境内に建つ日蓮上人12歳の頃の銅像
小湊温泉
日蓮上人が産湯をつかったとされる「誕生水」の井戸
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