蓮台寺温泉(れんだいじおんせん)の歴史秘話

温泉の歴史秘話

幕末の世に渡米を志した吉田松陰の入湯秘話

下田から北へ2キロほど入った山中に位置する蓮台寺温泉は、約1300年前に行基が開湯したといわれる。地名の由来となった温泉山蓮台寺は800年ほど前に廃寺となっているが、多くの源泉を有し、下田へも配湯されているほど豊富な湯量を誇る。その泉質の良さが伝わるエピソードとして、安政元年(1853)に吉田松陰が皮膚病の治療に訪れた事実がある。当時、松陰は弟子の金子重輔とともにアメリカへ密航を企て、ペリーの黒船に接触すべく、下田の岡村屋(現在の下田屋旅館)に潜伏していた。松陰は長州から横浜、保土ヶ谷、熱海、下田に至るまでの旅の途中で疥癬(かいせん)にかかっており、近くの温泉で湯治しようと蓮台寺へ向かったのである。

蓮台寺に到着した松陰と重輔は、共同湯の「上の湯」(現存)に入浴する。2人はそこで一夜を過ごそうとしたが、すぐ近くに住んでいた医師の村山行馬郎(ぎょうまろう)が真夜中の物音を不審に思い、様子を見に来た。村山は見慣れぬ顔の2人を見て疑いを持ったが、皮膚病の治療に来たというので、彼らを自宅へ招いた。村山の好意で一夜の宿を借りることができた松陰は、その人物に感じ入り、己の身分と渡航計画を明かす。村山もまた、若くして国を憂う松陰に同情し、匿うことにしたのである。松陰は村山邸2階の部屋を借り、1週間ほど隠れ住み、階下の内湯で湯治にあたった。この部屋は、屋根裏部屋のごとく階段が取り外し可能で、引き戸によって階下との仕切りができるため、外からは見えない「隠し部屋」となっている。この「村山邸」は、現在も萱葺き屋根の姿のまま残り、昭和16年に静岡県の史跡に指定されている。

邸内には彼が入浴した内湯もそのまま残され、源泉が湯舟に注がれている。現在は無色透明の単純温泉だが、当時は白濁の硫黄泉が湧いていた。大正の頃に深く掘る技術が発達し、泉質が変わったという。しかし、松陰は機を逃すことを恐れ、疥癬が完治しないまま密航計画を実行すべく下田へ戻ってしまう。3月27日、二人は下田の柿崎でアメリカ人士官の上着の胸に手紙を差入れて立去り、その夜は柿崎弁天島の祠で眠った。深夜2時頃、満潮に乗って小舟を波高い下田湾に漕ぎ出し、ようやくミシシッピー号まで辿り着くが「旗艦のポーハタンへ行け」と言われため、今度はポーハタンの近くまで漕ぎ寄せてタラップに飛び乗った。

どうにか乗船できた松陰は、筆談で通訳のウイリアムズを通じ、アメリカまで乗船させてほしいと懇願する。前日の手紙はペリーの手に届いており、彼も松陰の願いを知っていたが、当時の日本の国法(無断で国外へ渡ったら死罪)を考慮し、「幕府から許可を得ていないから」という理由で乗船を断った。一説によれば、松陰が疥癬を患っていることを船医が見抜いたともいい、ペリーが乗船を断わったのも病気が船員たちに感染することを恐れたからともいわれる。「もし、松陰が渡航に成功していれば…」という仮説は古くから色々と語られてきたが、皮膚病が原因だったなら「完治してから行動を起こすべきだったのでは…」という思いもわく。

結局、松陰と重輔は人目につかぬようにボートで下田東側の福浦へ送られた。翌朝、2人は流された小舟を探したが、いくら探しても見つからない。小舟には刀や密航の証拠となる荷物が載っている。うろついている間に捕まるのも見苦しいからと、2人は下田の奉行所へ自首する。そして長命寺から平滑の獄、江戸伝馬町の獄から故郷の萩に送られ、安政2年(1855)に金子重輔が獄中で病死。松陰はそれから4年後の「安政の大獄」によって処刑される。大志を抱いた青年2人の眼に、下田の海はどう映ったのだろうか。(文・写真/上野哲弥)

※松陰、重輔にまつわる写真は「下田温泉・温泉写真館」の頁にも掲載されています。是非ご覧ください。

【人物紹介】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━……・・・
■≪吉田松陰(よしだ しょういん)≫[1830〜1859年]
長門国・萩松本村で長州藩下級武士の子として生まれる。幼少より日本の伝統的学問を修め、後に洋学を学ぶ。佐久間象山に傾倒、幕末日本の情況を憂慮し、外国の事情を知ることが急務と考え、ロシア、アメリカへの密航を企図するも果たせず。しかし、門下から高杉晋作、伊藤博文、山県有朋ら明治維新に活躍する人物を多く輩出した。

■≪金子重輔(かねこ じゅうすけ)≫[1831〜1855年]
長門国・紫福村の商人、茂左衛門の長男。吉田松陰に従って米艦へ接触し、密航を企てるが失敗。岩倉獄で獄死(25歳)。


蓮台寺温泉
松陰が皮膚病を治すために浸かった村山邸の風呂場
蓮台寺温泉
吉田松陰が潜んでいた、村山行馬郎邸2階の隠し部屋
温泉地の歴史秘話をご紹介します。あなたの情報もゆこゆこネットで掲載いたしますので、ぜひご投稿ください。 歴史秘話を投稿する