小浜温泉(おばまおんせん)の歴史秘話

温泉の歴史秘話

文学史に名を刻む歌人も魅せられた小浜温泉

 遠く奈良時代からの伝統を誇り、島原半島きっての名湯と名高い小浜温泉。かつて島原の乱で負傷した人々が傷を癒すのに利用され、シーボルトによる温泉分析が今も残るなど、歴史にまつわる逸話には事欠かない。さらに、多くの源泉から湧き出る豊富な湯量と熱量でも知られ、全国から訪れる多くの湯客に親しまれてきた。
 そんな小浜温泉の数ある魅力の中で、現在、最大の呼び物となっているのが、眼前に迫る橘湾の美しい風景。背後に山が迫る海岸線に沿って30軒ほどのホテルや旅館が並び、どの湯宿からも穏やかで情緒豊かな入り江の風景が望める。殊に太陽が水平線に沈む前後の数十分間、空も海面も磯の岩々も黄金色に染まる夕景は絶妙で、まさに「山の湯雲仙、海の湯小浜」の名に恥じない荘厳な光景を作り出す。

 この豊かな湯と美しい風景に誘われて小浜を訪れる多くの湯客の中には、著名な文学者の姿もあった。昭和7年2月、折から篠つく冷雨の中を徒歩でたどり着いたのは、自由律俳句で知られる放浪の俳人、種田山頭火。
  「一杯元気でここまで来た 行程五里」
の句が残っているが、実は長崎から当地までの道々、ことごとく宿を断られ、ほうほうの態でたどり着いたと言われている。だからこそ、小浜のたっぷりと熱い湯が、旅に疲れた体にひときわ沁みわたったのだろう。「ここの湯は熱くて量も多い」「たった一人で湯に入って、のんきに読んでいられる」と、しばしの温泉滞在を十分に満喫している様子が、日記からもうかがえる。そんな山頭火が詠んだ一句、
  「雲仙を背にしている海の青さ湯けむりの白さ」
は、「海の湯小浜」のもつ風情を端的に表現した名句として、彼の傑作のひとつに数えられている。

 また、日本の詩歌界に大きな足跡を残した歌人・斉藤茂吉も、小浜温泉に魅せられた文人の一人。山頭火に先立つこと12年前に来湯した茂吉は、小浜名物の「海に沈む夕日」をモチーフに歌を詠み、その美しさを全国に知らしめた。
  「ここに来て落日(いりひ)を見るを常とせり 海の落日も忘れざるべし」
現在、小浜港の一隅に設けられた公園「海の広場」に、歌碑として残されている一首だ。湯の香と潮風が出合う緑美しいこの公園は、地元の人々にも観光客にも愛されている夕日展望のベストスポット。ここに作られた安定感ある横長の歌碑は、刻まれた明朝体の端正な白文字とともに、静かで内省的な茂吉の歌風によく似合っている。

 茂吉が長崎に渡ったのは、東京帝国大学で医学を学び、ヨーロッパ留学を経た後の大正6年のこと。長崎医学専門学校(現在の長崎大学医学部)の教授として、妻子を東京に残しての単身赴任だった。当初、不慣れな町での独居で、
  「あはれあはれここは肥前の長崎か 唐寺の甍に降る寒き雨」
のような寂寥感ある歌を詠んでいた茂吉だったが、やがて異郷暮らしに慣れるにしたがって長崎の地に愛着を持つようになった。丸山あたりに出かけたり、名物のちゃんぽんを賞味したりと、独り暮らしを大いに楽しんだという。
 帰京を翌年に控えた大正9年、体をこわした茂吉は養生のため、雲仙、古湯、嬉野など長崎県から佐賀県にかけての温泉を巡り、小浜温泉にも2度にわたって来湯した。宿泊したのは当地を代表する旅館のひとつ「伊勢屋旅館」。その滞在の折、はるか橘湾に沈む夕日の光景をうたったのが前掲の「ここに来て…」の一句だ。茂吉らしい、感情を抑えた静かな表現ながら、落日への感動を余すところなく伝えている。

 時は移り人は変わっても、小浜の豊かな湯と穏やかな海、そして荘厳な夕景は今も変わることがない。茜色の夕空と水平線を望む露天風呂に浸かりつつ、かつてこの地を訪れた対照的な2人の文人たちの感動を追体験するのも、またひとつの心の癒しになるのではないだろうか。

【人物紹介】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━……・・・

■≪種田山頭火(たねだ さんとうか)≫[1882〜1940年]
山口県出身の俳人。本名種田正一。大地主の造り酒屋に生まれ、荻原井泉水に師事して自由律俳句をはじめる。やがて家業が破産し妻子を捨て出奔し、曹洞宗僧侶として得度。雲水として西日本を中心に旅し作句を行う。最晩年、松山市に「一草庵」を結庵しここで没した。

■≪斎藤茂吉(さいとう もきち)≫[1882〜1953年]
山形県出身の歌人、精神科医。貧しい農家に生まれながらも苦学し、東京帝国大学医学部を卒業。ドイツ、オーストリアに留学して精神科医としての地位を確立し、青山脳病院長を長く務める。歌は伊藤左千夫に師事、『赤光』をはじめ生涯で17冊の歌集を出す。精神科医の斎藤茂太は長男、作家の北杜夫は次男。

小浜温泉
斉藤茂吉が歌に詠んだ、橘湾に沈む夕日。黄金に染まる海と空は神々しい程に美しい。
小浜温泉
小浜を訪れた際、茂吉が宿泊した「伊勢屋旅館」の露天風呂。開放感溢れる眺望が見事。
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