道後温泉(どうごおんせん)の歴史秘話

温泉の歴史秘話

夏目漱石『坊っちゃん』の小説世界を体験

 兵庫の有馬温泉、和歌山の白浜温泉と並ぶ日本三古湯のひとつに数えられ、『日本書紀』にも登場する我が国最古の温泉、道後温泉。約3,000年にわたる歴史の中で数々の著名人が訪れた事でも知られ、その代表的存在といえるのが日本近代文学の巨匠・夏目漱石である。漱石が道後を訪れたのは明治28年から翌29年にかけて。英語教師として松山中学(現在の松山東高校)に赴任し、翌年熊本に転任になるまでの一年の間に、松山市内の下宿先から足繁く通ったという。道後温泉の素晴らしさは漱石も絶賛しており、「道後温泉はよほど立派なる建物にて、八銭出すと三階に上がり、茶を飲み、菓子を食い、湯に入れば頭まで石鹸で洗ってくれるような始末、随分結構に御座候」と手紙に書き綴っている。漱石お気に入りのこの温泉が登場するのが、後に彼の代表作となる小説『坊っちゃん』だ。

 明治39年、文芸誌『ホトトギス』誌上で発表された小説『坊っちゃん』は、無鉄砲で負けん気の強い江戸っ子の主人公が数学教師として松山に赴任し、同僚教師や生徒相手に奮闘する様を痛快に描き、大ベストセラーになった。道後温泉は小説中に「住田温泉」の名で登場。「おれはここへ来てから、毎日住田の温泉へ行く事に極(き)めている。ほかの所は何を見ても東京の足元にも及ばないが温泉だけは立派なものだ」(小説『坊っちゃん』より)。主人公が通った温泉のモデルとなったのは、今も現存する共同浴場「道後温泉本館」。「道後温泉駅」を出て約60軒の店舗が軒を連ねる商店街を抜けた先にある、道後温泉のシンボル的なスポットだ。三層楼の風格ある建物は国の重要文化財に指定され、「神の湯」「霊の湯」の2種の浴場や漱石をしのんで造られた「坊っちゃんの間」などが観光客の人気を集めている。また、主人公が湯船で泳いで「湯の中で泳ぐべからず」の貼り紙をされたエピソードにちなみ、男湯には「坊っちゃん泳ぐべからず」の木札が架けられるなど、ちょっとした遊び心が微笑ましい。

 また、「道後温泉本館」周辺を歩けば、至る所に『坊っちゃん』にまつわる建造物やみやげ物などが見受けられ、いかにこの温泉地が『坊っちゃん』ゆかりの地として親しまれているかを実感できる。小説の主人公が温泉帰りに2皿7銭で食べた“大変うまいという評判”の団子は、今や「坊っちゃん団子」の名で知られる道後温泉名物。当時は米粉に餡をまぶしただけの「湯晒し団子」と呼ばれる素朴なものであったが、後にアレンジが加えられ、今は串付きの3色団子が定番となっている。「道後温泉本館」でもこの団子を食す事ができ、小説の主人公になった気分がそっくり味わえるのがいい。「道後温泉駅」を出るとすぐ目につくのは「坊っちゃん列車」。小説の中で、主人公が赴任先の中学へ向かうために利用した汽車をモデルに復元した小さな機関車で、わざわざこの機関車を見に訪れる鉄道ファンも多いとか。そして、駅前の広場「放生園」には「坊っちゃんカラクリ時計」が建ち、1時間ごとに軽快なメロディーと共に『坊っちゃん』の登場人物の人形達が目を楽しませてくれる。

 松山に赴任していた当時、漱石は松山市二番町にあった上野義方宅の離れに下宿し、自らその下宿先を「愚陀仏庵(ぐだぶつあん)」と名付けた。その間、病気療養のため帰省していた松山出身の俳人・正岡子規と52日間にわたる同居生活を送ったエピソードは有名だ。日々の中で二人は活発に文学論を戦わせ、共に俳句を楽しみ、友好をより深めていったという。近代文学の巨匠として後世に名を残す二人が一緒に生活を送り、互いに文学的影響を与え合った事実は実に興味深い。「愚陀仏庵」は戦災で消失したものの、昭和57年に松山城近くに再建され、今も当時の趣きを偲ぶ事ができる。中学の英語教師だった漱石は、その頃まだ小説家としてのスタートを切ってはいなかった。しかし、松山で過ごした日々は後の文豪・夏目漱石を生み出すきっかけとなった重要な時期と言えよう。漱石の創作活動に多大なる影響を与えた道後の温泉街をそぞろ歩いて『坊っちゃん』の小説世界を体感し、漱石の面影に思いを馳せれば、日本の誇る文豪をもっと身近に感じられるに違いない。

【人物紹介】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━……・・・
■≪夏目漱石(なつめ そうせき)≫[1867〜1916年]
小説家。本名夏目金之助、東京都出身。帝国大学文科大学(現・東京大学文学部)卒業後、教師生活を経てイギリスに留学。帰国後の1905年に処女作『吾輩は猫である』で文名を得る。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。1916年12月9日、『明暗』連載中に胃潰瘍で永眠、享年50歳。代表作に『坊っちゃん』『草枕』『虞美人草』『こころ』『門』など。

■≪正岡子規(まさおか しき)≫[1867〜1902年]
本名正岡常規。松山市に生まれ、夏目漱石とは大学の同窓。大学中退後、俳句・短歌の革新運動を開始し、後に俳句雑誌『ホトトギス』、短歌雑誌『アララギ』を創刊する。日清戦争後は肺結核を患い、病床にありつつも俳句・短歌・新体詩・評論など多岐に渡る分野で活躍。1902年、約7年に渡る闘病の末35歳で永眠。随筆『病牀六尺』、歌集『竹の里歌』などの著書で知られる。
道後温泉
道後温泉と松山市街をつないで走る坊っちゃん列車。レトロさ漂う外観が人気。
道後温泉
道後温泉のシンボル「道後温泉本館」。『坊っちゃん』の主人公も毎日ここへ通った。
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