杖立温泉(つえたておんせん)の歴史秘話

温泉の歴史秘話

弘法大師が突き立てた杖から起こった杖立の伝説と霊験

 阿蘇外輪山の北、筑後川の源流・杖立川の渓流沿いに広がる杖立温泉は、鬱蒼と生い茂る小国杉に周囲を囲まれた九州の名湯だ。1,800年あまりの歴史を誇るという、この古湯の名前の由来として、日本に真言密教を伝えた弘法大師こと名僧・空海にまつわる伝説が残っている。

 平安時代初め、豊後(大分県)と肥後(熊本県)の国境を滝のように流れる筑後川沿いの道を、川下の村に住む30歳くらいの男と、たどたどしく杖をついた年老いた母とが連れだって歩いていた。そこへ1人の旅の僧侶が現れ、「そこのお方、この近くに名高い温泉があると聞いたのですが、存じませんか?」と問いかけてきた。百姓が「これから病の母を連れてそのいで湯に湯治に行くところです。同行しましょう」と答えると、3人は神功皇后が開湯しこの地でお産をした皇子(後の応神天皇)の産湯にしたと伝えられる山深い谷川の温泉を目指した。

 やがて、3人は温泉に到着。湯に浸かった僧侶は、湯加減のよさに旅の疲れもすっかり癒されたといたく感激し、病の平癒に功徳のある薬師瑠璃光如来(薬師如来)の像を刻んで近くに安置した。そして「私は、唐国から伝わってきた新しい仏の教えを説くために全国を行脚している空海という僧だ。親孝行であるあなたの願いはかなえられ、母の病は良くなるだろう。また、あなたの身の回りにもきっと良いことがあるだろう」と言い残し、おまじないとして竹の杖を地面に突き立てて豊後の方へ立ち去っていった。

 ところがその後、さまざまと不思議な出来事が起こる。まず、空海と一緒に温泉に入った母親の病が、湯治からひと月も経たないうちにすっかり完治。杖もいらぬほど元気になったという。さらに、空海が立てていった杖からは芽が生えてきたとか。

 数年の後、その杖から出た芽や枝が成長して木々が生い茂った。もともと“筑紫次郎”の異名を持っていた暴れ川、筑後川。川下の村々では、秋冬に嵐がくれば川が氾濫し、夏になれば田畑に流す水や普段の飲み水にも困る有様だった。しかし、空海が立てた杖から成長した木々が山を覆い保水されることで、嵐が来ても大きな洪水は起こらず、1年を通じて灌漑の水や飲み水に困らなくなったという。

 そして何より、杖をついてやってくる病人・老人も、この温泉で湯治をすれば杖を忘れるほど健康になって帰っていくとの評判が立つようになる。
≪湯に入りて 病なおれば すがりてし 杖立ておいて 帰る緒人≫。
空海が残した歌と、空海にまつわる伝説や霊験から名付けられたという名湯・杖立。江戸時代には本草学者の貝原益軒や熊本の藩主・細川越中守も湯治に訪れた記録が残っている。

 温泉街を通る、肥後と豊後をつなぐ「日田往還道」。現在も、昔ながらの情緒と風情をたたえた細い路地が残り、その一角に空海が刻んだ薬師如来を安置した「湯鶴薬師堂」(東林瑠璃堂)、そのすぐ下には共同浴場「薬師湯」が建つ。他にも、神功皇后ゆかりの共同浴場「元湯」や熊本藩主が入った「御前湯」などの共同浴場が点在。その長い歴史を物語っている。

 人々のために祈り、人々のために様々な事業を担い、後の時代には伝説化され庶民の信仰を集めるようになった弘法大師・空海。高い徳をもって「大師」の尊称を送られた僧は多いが、今では「大師さま」といえば空海の代名詞といっても過言ではない。
 杖立温泉にまつわる説話も、そうした弘法大師伝説のひとつ。筑後川の治水と温泉の不思議な効能が、農業用水の土木工事にも力を注いだ空海の業績と空海への信仰に結びついて、今も語り継がれている。(文・/二木三介)

【人物紹介】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━……・・・

■《空海(くうかい)》[774〜835年]
平安初期の僧で、真言宗の開祖。讃岐国(香川県)出身。延暦23年(804)、遣唐使として入唐、真言密教を学び翌々年に帰朝。密教の布教、高野山金剛峯寺や京都・東寺の建立、讃岐の満濃池(農業用の溜池)の改修などに尽力した。延喜21年(921)に「弘法大師」と諡(おくりな)され、後世、伝説化して庶民の信仰を集めている。優れた書家「三筆」の1人としても有名で、「弘法も筆の誤り」「弘法筆を選ばず」などの諺を残している。
杖立温泉
「御湯の駅」の中にある足湯。「湯に入りて…」の弘法大師の歌が紹介されている。
杖立温泉
健康の出発点になるようにとの願いを込めて造られた「御湯の駅」の湯かけ童子。
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