湯西川温泉(ゆにしがわおんせん)の歴史秘話

温泉の歴史秘話

山深い仙境のいで湯に残る平家落人伝説

周囲を険しい山々に囲まれた栃木県旧塩谷郡栗山村(現日光市)の湯西川温泉には、平安時代末期に源氏との戦いに敗れた平家の残党が逃れ隠れ住んだ「落人の里」であるとの伝承が残っている。

1185年、源平両陣営による天下の覇権をかけた最後の決戦、関門海峡の「壇ノ浦の戦い」。平家一門の公達・武将たちは相次いで入水し滅亡した…かに見えた。ところが、死んだと思われていた平清盛の孫・忠房は戦場から脱出。名を「忠実」と改め、紀伊から木曽、さらには東山道と追手をかわして落ち延びたとも言われている。四散していた郎党たちも、忠実の元に集結。そしてついに、かつて平家に仕えていた下野国(現栃木県)の武将・藤原朝綱の元に身を寄せることとなる。「驕る平家」と言われる一方で、平家に恩義を感じ心を寄せる武将も多かったのだ。

だが、源氏の総帥・源頼朝は平家残党を許さない。朝綱のところにも追及の手が伸びてきたため、忠実一党は鬼怒川を遡り逃走。ついに鬼怒川最上流、山深い湯西川の里にまで逃げ込み、ようやく安住の地とすることができた。

湯西川には、「五月でも鯉のぼりを上げない」「鳴き声をあげる鶏は飼わない」「米のとぎ汁は川に流さない」といったしきたりがある。これは、平家落人の故事にちなんだものだ。
忠実一党が湯西川へと落ちる途中、侍女のひとりが男児を出産した。おりから、端午の節句。祝いに侍女たちが着物の肩袖を縫い合わせて幟(のぼり)を掲げたところ、源氏の追捕使に見つかってしまう。さらに敗走を重ねる最中、今度は忠実一行に飼われていた鶏の鳴き声で所在が発覚。川に流した白い米のとぎ汁から、奇襲をかけられたこともあった。武士としてではなく、「山の民」として息をひそめて生き延びた平家落人たちの暮らしぶりが、今も脈々と受け継がれている。
また、湯西川の名物といえば、鹿肉や熊肉、山鳥の肉を挽いて味噌・山椒と和えてたたいた珍味「味噌べら」、イワナやカジカ、サンショウウオといった珍しい山川の幸が供される「お狩場焼」。さらに、杓子や木鉢といった木器を作る木地師は落人たちの生業とされ、今に伝わる湯西川の伝統だ。

温泉の開湯にも、平家落人にまつわる伝説が残っている。天正元年(1573)の冬のある日。湯西川に住む忠実の子孫・伴対馬守(ばん つしまのかみ)が狩りに出かけた際、そこだけ雪が積もらない不思議な一角を見つける。掘ってみると湯が湧き、さらに一緒に鞍や甲冑が出てきた。対馬守は、これこそ遠祖・忠実が埋めた「藤づるの鞍」であると悟る。「藤づるの鞍」とは、忠実が愛馬の背にかけた鞍のこと。湯西川に落ちた忠実は塚を築き、疲れ果てて死んだ愛馬の遺骸や甲冑・刀剣などの宝物を埋めたと言われている。
以来、伴家は代々湯西川の湯守を務め、忠実の遺物とともに湧き出てきた湯を守り続けた。寛文6年(1666)、伴家は宿屋を開業。今日も、老舗宿「本家伴久萬久旅館」として健在している。

現在、湯西川には平家ゆかりの観光スポットが点在し、「平家落人の里」の雰囲気を今に伝えている。茅葺の民家、「平家塚」「平家杉」といった遺跡、渓流にかかる葛(かずら)を編んだ吊り橋。さらには、平家ゆかりの古文書や甲冑などが展示された「平家落人民俗資料館」、山の民の生活を伝える「平家の里」。毎年6月には平家の武者行列が練り歩く「平家大祭」が行われ、平家華やかなりし時代を再現する。

かつて、仙境の里でひっそりと暮らす平家落人たちの元へも、時おり琵琶法師のような遊芸人がやって来ては『平家物語』を哀愁あふれる調子で吟じたという。祖と仰ぐ平家の悲劇的な運命を聞き入った里人たちは、そのつど涙したことだろう。
湯西川の自然と里村の風土は、歴史ロマンを感じさせる平家落人伝説を通じて、人々の古への郷愁や憧れを一層かきたてる。それは、実際の温泉の泉質や温泉街の鄙びた佇まいを超える“効能”であるとさえ言えるのではないだろうか。(文・/二木三介)

【人物紹介】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━……・・・
■≪平忠実(たいらのただざね)≫[?〜1186年]
平家の全盛期を築いた平清盛の孫で、清盛の長男・重盛の六男。史実では、源平合戦・屋島の戦いで平家が敗れた後、ひそかに陣を抜け出し紀伊の武将・湯浅宗重を頼って同地に潜伏。壇ノ浦の戦いで平家一門が滅亡した後も残党を集め、源氏に対して徹底抗戦を試みたが、最後には投降し源頼朝の命によって討たれたとされる。容易に屈服せず源氏に抗って気を吐いたことが、湯西川の平家落人と温泉開湯の伝説に結び付けられたのだろう。
湯西川温泉
平忠実の子孫、伴家が開業した老舗宿「本家伴久萬久旅館」の露天風呂
湯西川温泉
平家にまつわる湯西川の伝統料理、味噌べら(奥)とお狩場焼
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