五浦温泉(いつうらおんせん)の歴史秘話

温泉の歴史秘話

五浦海岸の「六角堂」で思索にふけった岡倉天心

 5つの入り江に松の木が生える断崖や波の浸食によってできた奇岩が並び、太平洋から寄せる波濤が当たっては砕け散る「五浦海岸」。その海に突き出た断崖の一つに、赤い壁と瓦葺きの小さな「六角堂」が建つ。正式名は「観瀾亭」(かんらんてい)、“大波を観る東屋”の意。明治初期の急激な西洋化の風潮にあらがって日本の伝統美術の復興につとめた巨匠・岡倉天心が、離れの書斎として建てたものだ。

 明治36年(1903)、天心は福島県平から茨城県磯原の辺りに隠棲の地を求め、弟子の画家・飛田周山を伴い、格好の場所を探し求めて歩いた。そして周山の郷里・磯原にも近く、奇勝に富んだ五浦海岸を非常に気に入り、さっそく周囲の土地を購入。2年後の明治38年に家族を連れて移住し、あわせて日本画の革新と再興を賭けて自ら創設した画壇「日本美術院」の画家たち――弟子である横山大観や下村観山、菱田春草、木村武山を住まわせる。こうして五浦海岸は、美術史家として日本とアメリカを股に掛ける多忙な生活の中、大正2年(1913)に亡くなるまで天心の日本における創作活動の拠点になった。

 天心は、敷地内の小さな岬に建っていた「観浦楼」という建物を建て替え、自分専用の書斎「観瀾亭」(六角堂)とした。平面は正六角形、うち海に面した4面は開放的なガラス張り。禅宗の仏殿、唐の詩人・杜甫の草堂、庭園の東屋、さらには茶室……それぞれのイメージを重ね合わせた、いかにも天心らしい独創的な建物である。

 天心は、この六角堂にこもって読書や思索に時間を費やし、または天空と海原を眺め大自然と一体となって瞑想にふけった。あるいは自ら「五浦釣人(いづらちょうじん)」と称し、古代中国の隠者のような独特の釣り着を着て、波が穏やかな日には舟を漕ぎ出しては海釣りをする生活を楽しんだという。

 当時の天心は、アメリカの「ボストン美術館」の中国・日本美術担当者として美術品を収集する仕事に従事していたものの、かつてのエリート文部官僚や東京美術学校校長などを歴任していた華々しい時代に比べると、在野にあって不遇の時代だった。その一方で、英文で発表された『茶の本』『東洋の理想』『日本の覚醒』といった優れた著作は、五浦海岸で思い巡らせたことが元になっているとされている。

 《……私たち日本人は茶の湯や自然を愛でる平和で風流な暮らしをしていました。だが、それを貴方たち西洋人は野蛮といい、私たちが満州戦線で大殺戮〔日露戦争のこと〕を始めると、文明国とみなすようになりました。おぞましい戦争が文明国の資格というなら、私たちは野蛮人のままで結構です。芸術や理想に当然の尊敬が払われる時代はいつ来るのでしょうか……。》(1906年=明治39年刊 『茶の本』の大意。原文は英語)

 こうした問いかけは、和・漢・洋のいずれの教養にも精通した文化人であった天心ならではのもの。同時に、21世紀の現在にも通用する鋭い警世、文明批評になっている。

 今でも五浦海岸周辺には、天心ゆかりの遺跡や遺品が多く残されている。

 六角堂は現在、「茨城大学 五浦美術文化研究所」の中にあり、有料で見学も可能。さらに天心居宅の母屋や長屋門、天心の言葉『亜細亜ハ一なり』(アジアはひとつなり)の石碑、道教式の土まんじゅう形の天心の墓などもある。敷地内の「天心記念館」には、弟子の1人・平櫛田中(ひらぐし・でんちゅう)作の釣り姿の天心像「五浦釣人」(木彫)や海釣りに使った釣船「龍王丸」(復元)を展示。近くにある「茨城県天心記念五浦美術館」では、五浦の地で研鑽した天心の弟子たち、大観や観山らの作品も鑑賞できる。

 そして六角堂は、まるで一幅の山水画にある点景のように印象的なアクセントをもたらし、五浦海岸にまったく新しい景観美を生み出した。現在では、こうした風景を生み出したこと自体が、天心の芸術的創作だったとも評価されている。

 海岸沿いの崖に造られた温泉旅館からは、この天心の“作品”ともいえる六角堂を含めた五浦海岸の美しい景勝を一望。露天風呂からは、天心が瞑想にふけた太平洋の眺望を湯浴みしながら楽しむこともできる。
 岡倉天心ゆかりの地に湧く温泉に浸かり、天心が愛した風景や精神の足跡をたどって行けば、彼が達した美と文化の境地に少しでも近づくことができるかもしれない。(文・/二木三介)

【人物紹介】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━……・・・

■《岡倉天心(おかくら てんしん)》[1862〜1913年]
明治の美術史家、思想家、教育者。本名・覚三。東京大学を卒業後、文部省に美術官僚として入省。米国人教師フェノロサの助手として、彼の日本古美術の収集に従う。この時、世の欧化主義に対抗して日本の伝統的な美術と美意識の再興に目覚めたと言われる。東京美術学校(後の東京藝術大学)や日本美術院の創設に尽力、明治日本画界の指導的役割を果たした。著書に『茶の本』『東洋の理想』などがあり、日本文化の海外への紹介も手がけている。
五浦温泉
岡倉天心が大自然と一体になって思索に耽った「六角堂」。特に朝日が素晴らしい。
五浦温泉
岡倉天心が愛した五浦海岸。岩壁に建つ宿の露天風呂では、迫力の景観美を間近に望む。
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