湯田川温泉(ゆだがわおんせん)の歴史秘話

温泉の歴史秘話

藤沢周平が教師として過ごした湯田川温泉での日々

 郷里の城下町・鶴岡をモデルにした「海坂藩(うなさかはん)」を舞台にした時代小説で知られる作家、藤沢周平。その作品の一つ『花のあと 以登女お物語』の舞台にもなったのが、“鶴岡の奥座敷”として親しまれている湯田川温泉だ。しかし、藤沢にとって湯田川は、作品の舞台といった以上のつながり深い場所でもある。

 《赴任してはじめて、私はいつも日が暮れる丘のむこうにある村を見たのである》

 温泉街のすぐ近くにある湯田川小学校の正門には、通りに面して一つの石碑が建っている。この碑文は、藤沢の自伝『半生の記』から採られたもの。湯田川から丘ひとつ隔てた高坂という集落(藤沢作品『三月の鮠(はや)』の舞台)で生まれ育った藤沢は、師範学校を卒業した後に隣村・湯田川の中学教師として赴任。その当時を振り返って記された一文だ。

 昭和23年(1948)、湯田川中学校(当時、小学校と併設。後に統廃合で廃校)の2年生のクラスに、師範学校を卒業したばかりの小菅留治(こすげ・とめじ/藤沢の本名)という男の先生が赴任してくる。当時活躍していた映画俳優の佐田啓二に似た、色白で端整な面持ちの新米教師。威圧的な年配の教師と異なり、生徒たちには若く明るくやさしい小菅先生が新鮮に映った。

 国語の担当だった小菅先生は、生徒たちに三好達治の詩「峠」を「いい詩なんだよ」と感嘆をこめて読み聞かせたり、田舎の中学生が聞いたこともなかった西洋のクラシック音楽をレコードで聞かせたり、湯田川をはじめとする庄内地方の自然や風物を詠みこんだ詩や短歌を書かせたりした。特に、傷ついた白鷺が葦原にしばらく伏せ、治癒して再び舞い上がっていった跡を村人が見に行くと、そこから温泉がこんこんと湧き出ていた……という湯田川温泉の開湯伝説を、小菅先生が『白鷺』という作品に脚本。校内放送の放送劇として演じた思い出は、今も生徒たちの心に強く刻まれている。
 当時、多くの生徒の家には風呂がなく温泉の共同浴場に入っていたが、小菅先生が宿直の日には浴場帰りの生徒たちが宿直室を訪れた。小菅先生もまた、普段の授業では触れない自分の人生を面白おかしく聞かせたという。こうして、戦後の開放的な雰囲気の中、小菅先生と生徒たちは共に学び共に遊ぶ教育を実践。豊かな情感を育んでいった。

 しかし、この充実した日々も長くは続かなかった。昭和26年、学校の集団検診で小菅先生の結核が判明。休職を余儀なくされる。療養は長引き、復職もままならなかった小菅先生は東京に移り住み、生徒たちともしばらく疎遠になる。

 小菅先生が生徒たちと再会するのは、小説家・藤沢周平として名をなし、かつて教えた湯田川温泉で講演会をした時である。藤沢はかつての小菅先生そのまま、偉ぶらず庄内弁で教え子たちに話しかけてきたという。やがて藤沢を囲んだ「泉話会」というクラス会が発足。湯田川温泉の「泉」にちなみ、「話」が湧き出るようにと名付けられた。
 この「泉話会」のメンバーが中心となって建立されたのが、前述の石碑だ。過去に鶴岡市の名誉市民の申し出を辞退したことがある藤沢は、もともとこうした顕彰を好まなかった。しかし、教え子たちの熱心な願いに、無理に大きいものにして目立つものにしない、後で迷惑になるものにしない……などの条件をつけて了承。碑文もあまり説教臭くならないようにと藤沢自身が選び、揮毫した。
 平成9年に除幕式が行なわれたが、藤沢はあいにく体調を崩し欠席。その4ヶ月後に、永遠の別れとなってしまう。恩師と教え子の心の絆はなお強く、葬儀では親戚一同に混じって遺骨を拾ったという。

 わずか2年の教師生活だったが、その時間は藤沢自身と、藤沢のもとで学んだ人々に強烈な印象を残した。かつての教え子たちは藤沢の小説や随想を読むと、中学校での生活を思い出すという。作中の人物が悩み、迷いながらも生きていこうとする姿への眼差しは、かつての小菅先生が生徒と接した態度に通じるものがある。湯田川温泉での教師生活は、後の藤沢作品の原点の一つと言えよう。

 今も、温泉街は藤沢が赴任してきた当時と変わらぬ静かな佇まいを残し、あたかも藤沢作品の世界に入り込んだような雰囲気が漂う。街を散策し、藤沢の言葉を刻む石碑の前に立てば、小菅先生と生徒が過ごした満ちたりた日々が目の前に浮かんでくるような気がする。(文・/二木三介)

【人物紹介】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━……・・・

■《藤沢周平(ふじさわ しゅうへい)》[1927〜1997年]
時代小説家。本名・小菅留治。山形県鶴岡市の農家に生まれ、苦学して山形師範学校(後の山形大学教育学部)に入学。卒業後、郷里・鶴岡の湯田川中学校の教師となる。2年後、結核とわかり休職。療養後は教職への復帰を断念して業界紙の記者となる。そのかたわらで時代小説の創作をはじめ、昭和47年(1972)に『暗殺の年輪』で直木賞受賞。江戸時代の下級武士や市井に生きる人々のつつましさや哀感を描いた作風に定評がある。
湯田川温泉
藤沢周平が教師として過ごした当時と同じ、のどかで静かな佇まいを残す湯田川温泉街。
湯田川温泉
城下町・鶴岡の中心に広がる鶴岡公園。春には約800本の桜が咲き誇る名所。
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