岩手湯本温泉(いわてゆもとおんせん)の歴史秘話

温泉の歴史秘話

正岡子規が旅した「俳句の里」岩手湯本温泉

 岩手県の西部、奥羽山脈の山懐に深く抱かれた湯田温泉郷。豊かな湯量と美しい自然で、温泉愛好家たちの間でも高い人気を集める。その温泉郷9湯の中心的な役割を果たしているのが、江戸前期の万治年間から約350年の歴史を持つ古湯・岩手湯本温泉。和賀川の清流沿いに大小10軒近くの湯宿が並び、今も静かな山の湯治場の風情をよく残している。   
 そして、この温泉郷の玄関口に当たるのが、トンガリ屋根の時計台とログキャビン風の素朴な風情をもつユニークな駅舎が目印のJR北上線「ほっとゆだ駅」。温泉郷への行き帰りに利用する旅客たちに親しまれており、駅舎の中には大浴場まで備えられた、まさに温泉郷のシンボル的な存在となっている。
 この「ほっとゆだ駅」前の広場に、一基の句碑が立つ。白い自然岩にはめ込まれた、黒い石版に刻まれている一句。

「秋風や人あらはなる山の宿」

 明治26年の晩夏、満26歳の明治を代表する文人・正岡子規が、岩手湯本温泉に逗留した際に詠んだ一句だ。その年の2月、文芸雑誌『日本』の文苑に俳句欄を設けた子規は、「即物写生」をテーマに生き生きとした近代人の感性で俳句を甦らせようという「俳句革新運動」に熱中していた。そんな子規が手本としたのが与謝蕪村、そして松尾芭蕉。7月19日、意を決した子規は、芭蕉の『奥の細道』を自らも追体験するべく東京から東北地方への旅へと出発する。
 この時の旅行記として残るのが、『はて知らずの記』。その一節にも「秋もはやうそ寒き夜の山風は障子なき窓を吹き透我枕を襲い…」と記されており、8月中旬の岩手湯本温泉には、もう秋風が吹き渡っていた様子が読み取れる。

 さらに、岩手湯本温泉から北西へ約8km、奥羽山脈に入り込んだ秋田との県境に近い下前地区に、もう一つの子規の句碑が深い草に埋もれるようにして置かれている。

「蜩(ひぐらし)や夕日の里は見えながら」

 旅立ちからほぼ1か月後の8月16日、子規は山向こうの秋田県六郷村(現・美郷町)から山道を越えて、初めてこの地に足を踏み入れる。江戸時代の芭蕉と同じ、徒歩での山越えだった。『はて知らずの記』には、次のように残る。「急ぎ山を下るに茂樹天を掩ふて鳥聲聞かず。下り下りてはるかの山もとに二三の茅屋を認む。そを力に急げども曲がりに曲がりし山路はたやすくそこに出づべくにもあらず」。
 たどり着いた時には、すでに夕刻。眼下に人里は見えるのだが、なかなかそこに到達しない…。そんな思いを、気だるい蜩の音に重ねて詠んだのだろう。

 そして、最も有名な子規の第三の句碑は、昭和25年、子規ゆかりの地を後世に伝えるため地元有志によって子規の池のほとりに造られた「句碑公園」に立つ。

「山の温泉(ゆ)や裸の上の天の川」

 一夜の宿をとった子規が、露天風呂で山越えの疲れを癒している。そのゆったりとした情景が目に浮かぶような一句だ。
 岩手湯本の湯宿で一夜を明かした翌日、子規は人力車で北上市へと旅立って行った。その後、革新運動を俳句から短歌へ、そして文芸全般へと急速に広げ近代文学の礎を築き、明治を代表する文人としてその名を刻んだ子規。明治35年、35歳という若さでこの世を去ったのは、奥羽山脈を徒歩で踏破したわずか9年後のことだった。
 しかし、子規の蒔いた新しい俳句の種は、高浜虚子ら後継者の手によって着実に芽を出し、近代俳句という大きな花を咲かせることになる。

 現在、岩手湯本温泉は「俳句の里」としてその名を知られている。大野林火、山口青邨、石川桂郎といった近代俳句の大家たちが子規を慕ってこの地を訪れ、また地元からも山崎和賀流という珠玉の作家を輩出。温泉地がそのまま俳句の聖地となっている。町には句を書き込んだ「俳句あんどん」や「投句ポスト」が至る所に設置され、平成9年からは「『はて知らずの記』俳句大会」を毎年開催。県内外から100あまりの句が寄せられている。

 句碑公園の子規の句碑の横に、その弟子・高浜虚子の句碑が並んで立つ。
「夏蔭のこの道を斯(か)く行きたらん」。
今も美しいこの山の湯の里に、若く溌剌とした子規の面影を追って訪れる人々の思いを代弁し続けている。

【人物紹介】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━……・・・
■≪正岡子規(まさおか しき)≫[1867〜1902年]
本名正岡常規。松山市に生まれ、夏目漱石とは大学の同窓。大学中退後、俳句・短歌の革新運動を開始し、後に俳句雑誌『ホトトギス』、短歌雑誌『アララギ』を創刊する。日清戦争後は肺結核を患い、病床にありつつも俳句・短歌・新体詩・評論など多岐に渡る分野で活躍。1902年、約7年に渡る闘病の末、35歳で永眠。随筆『病牀六尺』、歌集『竹の里歌』などの著書で知られる。

■≪高浜虚子(たかはま きょし)≫[1874〜1959年]
愛媛県出身の俳人。同郷の先輩である正岡子規に師事し、子規没後は俳句雑誌『ホトトギス』を主催した。定型と季題の遵守、「客観写生」を主眼とした守旧派として長く俳壇をリードし、多くの俳人を育てた。昭和29年、文化勲章を受章。
岩手湯本温泉
かつて正岡子規も一夜を明かした、和賀川の清流沿いに広がる岩手湯本温泉
岩手湯本温泉
駅前広場に子規の句碑が立つ、湯田温泉郷の玄関口JR「ほっとゆだ駅」
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