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草津温泉の歴史秘話
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豊臣秀吉、前田利家…。戦国武将たちの草津入湯計画
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林羅山によって【日本三名泉】のひとつに挙げられた草津温泉。とくに戦国時代は傷病の治療に重宝され『草津入湯ブーム』が到来、その評価はうなぎ登りとなった。はっきりと歴史に登場するのは文明4年(1472)のこと。このころ越前にいた本願寺蓮如が関東へ布教活動をしたとき、信州の西厳寺住職に案内されて草津を訪問、1ヶ月ほど逗留している。長野県真田町には、草津に向かう途中に蓮如が書いたという名号が残る。その後、1490年には越後の大名、長尾為景(上杉謙信の父)が箕輪城主・長野業尚とともに訪問。たまたま湯治にきていた高僧・大光宗猷禅師に出会い、教えを受けたという。 少し時代は下って天正10年(1582)3月。甲州・天目山の戦で武田勝頼を滅ぼした織田家臣の丹羽長秀が、堀秀政、多賀新左衛門らとともに草津を訪れ、戦の労を癒した。続いて1587年、豊臣秀吉の妹・朝日姫が訪問。この頃は徳川家康に嫁いでその正室となっていたが、3年後に病死していることから、病気療養のために訪れたと思われる。その翌年9月に物見遊山で訪れたのが、秀吉の養子・豊臣秀次。これを聞きつけた小諸の依田康国が、饗応役として草津に出向き、茶店を設けるなどして接待にあたったという。また、豊臣秀吉本人も、文禄4(1595)に草津へ行くための触れを出している。道中の宿泊先や供の人数なども決まり、すべての手配が完了したが、残念なことに直前で中止となってしまった。理由は不明だが、政務多忙が原因とされる。秀吉は、前年には側室を連れて西の名湯・有馬へ入湯しているから、東の草津にも是非行ってみたかったに違いない。 自分が行くことはできなかったが、秀吉は徳川家康に草津への入湯を勧めている。しかし、当時の草津は徳川と微妙な関係にあった真田氏が支配していたためか、家康が草津を訪問することはなかった。それでも草津の湯を江戸まで運ばせたという話もあるから、興味はあったのだろう。熱海の大湯を好んだという家康。草津の湯とどちらが気に入ったのか興味深いところである。徳川四天王のひとり本多忠勝は、娘が真田信之に嫁いでいた関係もあってか、草津の湯本氏と親しかった。慶長5年(1600年)ごろ、湯治を勧めた湯本三郎左衛門に宛て、忠勝は「来春必ず行くから手配を頼む」と書いている。しかし、上州・信州は反徳川派の者が多かったためか、忠勝を含む徳川方主力武将たちの草津入湯は記録にない。 そうした政治的背景からか、草津を訪れたのは豊臣派の人物が多い。加賀百万石の開祖・前田利家は死の1年前、慶長3年(1598)の4月から5月にかけて一族を引き連れ、大掛かりな湯治を行なっている。一行には謡曲師や楽師も含まれていたというから、あるいは自分の死期が近いことを知り、ことさら盛大に行なったのかもしれない。利家の湯治中、家康や浅野長政、堀秀治などが衣服や布団などの見舞品を送っている。また、関ヶ原で散った名将・大谷吉継も文禄3年(1594)に入湯。直江兼続に宛てた書状に「草津の湯は眼に効いた」と書いていることから、その事実が確認できる。彼はハンセン病患者であり、草津の湯が病に効くことは当時から評判だったのだろう。ちなみに吉継の娘は真田幸村に嫁いでいるので、あるいは草津で幸村が接待にあたったかもしれない。 温泉街の中心、湯畑の西には馬を入湯させるための「馬の湯」もあったという。当時は基本的に宿の内湯はなく、人々は共同浴場を利用していた。しかし、大名が訪れた時ばかりは貸切になったのだろうか。刀は湯の強酸性の成分のために錆びるので番所に預けたというから、戦乱の世を生きる武将たちにとって、草津はかけがえのない安らぎの場所であったに違いない。また、標高1200mという立地のため冬場は寒く、人は住めなかった。地元の人々も冬の間は山を降り、春になると宿に戻って営業をしていたようである。そうした事情もあって、草津は一切の戦禍を受けずに戦国の世をくぐりぬけてきた。あるいは武将たちの間にも「草津は戦場にしてはならぬ」という暗黙のルールがあったのかもしれない。(文・写真/上野哲弥) 【人物紹介】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━……・・・ ■≪本願寺蓮如(ほんがんじ れんにょ)≫[1415〜1499年] 本願寺8世蓮如上人のこと。京都・東山の大谷本願寺に生まれる。戦乱で一時京都を離れ、越前吉崎に御坊を構える。のちに京都へ戻り、山科、大坂石山に御坊を建立。親鸞の教えを民衆に広めた浄土真宗中興の祖として知られる。 ■≪前田利家(まえだ としいえ)≫[1538〜1599年] 加賀藩主前田氏の祖。尾張出身。信長、秀吉に仕え天下統一の事業に貢献、青年時代は血気盛んで「槍の又左右衛門」の異名をとる。のちに能登・加賀・越中を治め、豊臣政権では五大老に昇進、家康に継ぐ実力者となったが、関ヶ原の戦いの前年に病死した。 ■≪大谷吉継(おおたに よしつぐ)≫[1559〜1600年] もと豊臣秀吉の小姓。賤ヶ岳の戦い・九州征伐・朝鮮出兵などで活躍し、刑部少輔に任ぜられる。越前敦賀城主(5万石)となり、真田幸村の義父でもある。関ヶ原の戦いでは、不利と知りつつも親友・石田三成に味方して奮戦。小早川秀秋らの裏切りによって敗北し、戦場で自害。ハンセン病をおしての出陣だった。 |
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“天下の名湯”草津には本物の温泉がある
辺り一面を覆う湯煙から、強烈な硫黄臭が漂う。7つの木樋から音を立てて流れる湯滝に、滝壷に輝くブルーグリーンの湯。幻想的な光景に、どこからか「草津よいとこ一度はおいで〜」と草津節が聞こえてきそうで思わず心が躍る。「天下の名湯」「日本三名湯」の肩書きに応える草津の姿が、湯畑にはある。草津独特の入浴法が“時間湯”。草津節に合わせて大きな板を使った湯もみで湯を冷ました後、湯長の号令でいっせいに3分間だけ入浴。高温の湯を源泉のまま浴するために工夫された方法だ。有名な湯もみは、18ある共同浴場のうち「熱の湯」で見学可能。草津には、本物の温泉がある。
●住所:吾妻郡草津町草津 ●立ち寄り共同浴場数:18件