ホーム 初めての方へ インフォメーション 会員・予約情報 温泉旅館・ホテル検索 こだわり温泉ガイド ご質問受付 会社概要 サイトマップ

塩原温泉歴史秘話

個性豊かな温泉や渓谷美を文人たちとめぐる

温泉、渓谷、文学の町・塩原。尾崎紅葉が「山あれば岩あり、岩あれば必ず瀑あり、全峰にして名瀑」と称えた塩原渓谷の美しさは圧巻。四季を彩る花や木々に奇岩、70余りもの大小の滝と清流。豪快さと繊細さが織り成す芸術を、遊歩道や日本一の吊り橋「もみじ谷大吊橋」などの個性豊かな吊り橋から鑑賞できる。そして、渓谷沿いに広がる「塩原十一湯」。昔ながらの素朴な温泉街あり、緑や乳白色、墨色などの温泉ありと秘湯、名湯が揃う。紅葉の他にも夏目漱石、斉藤茂吉など多くの文人墨客が魅せられた塩原温泉。800年の歴史を持つ妙雲寺は、多くの文学碑が建ち「文学の森」と呼ばれる名所。目で見て肌で感じた塩原の魅力を、再確認できる。

住所:那須塩原市 立ち寄り共同浴場数:0件


周辺の宿を見る

塩原温泉の歴史秘話

温泉地の歴史秘話をご紹介します。あなたの情報もゆこゆこネットで掲載いたしますので、ぜひご投稿ください。 歴史秘話を投稿する

源義経の腹心が潜んだ洞窟と、太閤秀吉の入湯秘話

 塩原温泉郷の古町温泉のはずれに、『源三窟』という小さな鍾乳洞がある。有料で公開され、温泉街の行き帰りに見学に訪れる人も多い。鎌倉時代の1187年頃、この洞窟に源義経の娘婿である源有綱が鎌倉方に追われて逃げ込み、隠れ住んだという伝説が残る。有綱は、再び立ち上がる機会を伺っていたが、洞内に流れる滝水で米を研いだとき、その研ぎ汁が流れ出したために地元の武士・塩原八郎家忠に見つかってしまう。有綱は、そこで鎌倉方に突き出されて殺されたか、一命を助けられて数年後に病死したとされているが、詳細は不明である。入口脇には有綱の墓が設けられ、併設の資料館では洞内から出土した武具も展示されている。

 有綱は、摂津源氏・源三位頼政の孫にあたる。平家打倒に参陣し、土佐の戦で功を立てた。平家滅亡後の文治元年、頼朝と対立した義経は後白河法皇から頼朝追討の院宣を得たが、このとき義経とともに反頼朝勢力として挙兵に応じた一人が有綱だった。有綱は義経の娘婿だから、義経に従うのは当然といえる。彼らは挙兵後、大物浦(兵庫県)から出航して九州を目指したが、暴風雨に遭って転覆。軍勢も散り散りになってしまう。生き残ったのは義経、弁慶、静御前、堀景光、有綱の5人だけ。その後、義経や弁慶とはぐれた有綱は、大和で北条時定の残党狩りに見つかり奮戦するも敗走、深山に入って自害したという。

 こうなると『源三窟』に隠れ住んだエピソードは作り話にも思える。しかし、塩原温泉には有綱を側神としてまつった塩原八幡宮があり、『源三窟』脇の有綱の墓石は、昭和45年頃まで田んぼの中に小さな塚として建てられていたものだという。また、塩原には小田ヶ市(おだがいち)という地名があるが、これは有綱の「御他界地」という事に由来するらしい。有綱は永く地元民に崇敬されてきたのである。義経や弁慶と同様、有綱も追手を振り切り関東まで落ちのびたのかもしれない…。

 さて、武将といえば時代こそ違うが、あの豊臣秀吉も塩原温泉を訪れたといわれている。天正18年(1590)、秀吉は大軍をもって小田原北条氏を攻め破り、関東を制圧。続いて奥州平定に臨むべく宇都宮城に入った。このとき、秀吉は塩原を訪れ、元湯に入湯したという記録があるのだ。塩原には「太閤おろし」なる地名が残され、元湯の古絵図の中には「御太閤様御入湯」と記された部分がある。当時の元湯は、関所と間違われるほど賑やかな湯治場だったといわれ、西の名湯・有馬を好んだ秀吉が、東の名湯・塩原の噂を聞きつけ立ち寄っていたとしても不思議ではない。また、秀吉の家臣だった浅野長政は、慶長16年(1611)4月、この塩原元湯にて湯治中に死去している。

 鎌倉・戦国と武士ゆかりの地である塩原には、まだまだ沢山の伝説が眠っていることだろう。(文・写真/上野哲弥)

【人物紹介】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━……・・・
■≪源義経(みなもとの よしつね)≫[1159〜1189年]
平安時代末期の武将。頼朝の異母弟。母は常盤。幼名・牛若丸。平治の乱で父・義朝が敗れた後、鞍馬寺へ送られる。16歳で寺を抜け出し、奥州の藤原秀衡を頼る。兄・頼朝の挙兵に応じて、富士川の陣に参じた。以後、一の谷、屋島、壇ノ浦で連勝し、平家を滅亡させる。のちに頼朝と対立し奥州へ逃れるが、その命を受けた藤原泰衡に襲われて自害した。

■≪豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)≫[1536〜1598年]
安土桃山、戦国時代の武将。中村(今の名古屋市)の農家に生まれる。もとは日吉丸、足軽として織田信長に仕え木下藤吉郎を名乗る。才気と行動力で出世し、浅井氏の滅亡後はその旧領を得て長浜城主となり羽柴秀吉と改名。信長の死後いち早く明智光秀を討ち、北陸・四国・九州・関東と平定し、1590年に天下をほぼ統一した。関白となり、豊臣の姓を賜って豊臣政権を開いた。

■≪浅野長政(あさの ながまさ)≫[1547〜1611年]
安井重継の子として尾張国春日井郡で誕生。母の弟・浅野長勝の養子になり、信長の浅井長政攻めに初陣。その後、秀吉に従って戦功を挙げる。文官としての才能を認められて豊臣五奉行の1人となるが、秀吉没後の関ヶ原の戦いでは徳川家康軍に属し、戦後に常陸・真壁5万石を与えられた。
塩原温泉
『源三窟』に併設された資料館では、洞内から出土した遺物や武具も展示
塩原温泉
古町温泉のはずれにある鍾乳洞『源三窟』の入口そばに建つ、源有綱の墓碑
温泉地の歴史秘話をご紹介します。あなたの情報もゆこゆこネットで掲載いたしますので、ぜひご投稿ください。 歴史秘話を投稿する