|
|||||||||
|
|
湯河原温泉の歴史秘話
| 温泉地の歴史秘話をご紹介します。あなたの情報もゆこゆこネットで掲載いたしますので、ぜひご投稿ください。 |
静かな旅館街に響いた、二.二六事件の銃声
|
温泉街から少し離れたJR湯河原の駅前には、鎌倉時代の夫婦像が立っている。これは源頼朝の家臣・土肥実平と、その妻である。駅周辺は土肥氏の居館があった場所で、石橋山合戦で敗れた源頼朝が逃げ込み、隠れ潜んだ地ともいう。像は土肥実平の妻が、杉山に潜んでいた頼朝主従に食糧を差し入れたという『源平盛衰記』の記録に基づく。駅北口の山には、土肥一族の菩提寺・城願寺があり、頼朝主従七騎の木像を安置した『七騎堂』が建っている。土肥実平は、頼朝に従った家臣6騎のうちの1人であった。湯河原に潜んだ頼朝主従は、大場景親の手勢に幾度か発見されそうになったが、無事に安房へと逃れ、再起ののちに平家を討伐した。 さて、ここ湯河原で、権力者が間一髪難を逃れたという点で、昭和の時代にも似たような出来事があった。昭和11年(1936)、旧日本陸軍の将校らが「昭和維新」と称して起こしたクーデター『二・二六事件』がそれである。2月26日当日、東京には30年ぶりの大雪が降っていた。未明の午前5時過ぎ、歩兵約1400人を率いた野中四郎・安藤輝三らが首相官邸などを一斉に襲撃。斎藤実内大臣・高橋是清蔵相・渡辺錠太郎教育総監と警備の警官ら計9人を殺害、首相官邸・陸軍省・警視庁など永田町一帯を占拠した。 同じ頃、雪に覆われた湯河原でも襲撃が決行された。襲われたのは、旅館『伊藤屋』の別館・光風荘に宿泊していた前内大臣・牧野伸顕(伯爵)である。「電報、電報!」戸を叩く男の声に、泊り込みの護衛警官・皆川義孝がわずかに扉を開く。そこには、軍服姿の男8名が立っていた。先頭の男は帝国陸軍の青年将校・河野寿大尉。河野は扉を蹴り開け、館内に乱入。建物に放火し、たちまち警官との銃撃戦となった。異変に気付いて目覚めた牧野伯爵は、女性用の着物を頭からかぶり、共に宿泊していた妻子や看護婦らと脱出を図る。 このとき、結果的に牧野を助けたのが『岩本屋旅館』の先々代主人・岩本亀三だった。早朝出発の客のために起床していた亀三は、道路向かいの光風荘が燃えているのを発見。地元消防団を集め、すぐさま駆けつけた。「邪魔をするな」と見張りの襲撃犯たちに制止されたが、亀三は「民家に火をつけるやり方があるか。近所に延焼したらどうする」と食ってかかった。襲撃犯もその一言にうろたえたか、「すまん」と詫びたという。亀三は裏口の石垣に登り、脱出してきた牧野夫妻らを助けたが、その際に流れ弾を足に受け、負傷した。5時40分から30分ほども続いた銃撃戦の末、襲撃グループも河野大尉と部下1人が撃たれ、引き揚げにかかる。その時、館内には銃弾2発を受けて即死した警官・皆川義孝、右肺貫通の重傷を追った看護婦が倒れていた。 襲撃は失敗に終わり、実行主犯の河野は3月5日に入院先の病院で切腹。療養中の岩本亀三には、県知事から感謝状と金一封が贈られた。河野らは襲撃の前日、『伊藤屋』本館の「19番」という部屋に泊まって、窓から数十mの真正面に見える別館を偵察していた。その部屋は現存し、焼失の翌年に建て直された別館を当時のまま見ることができる。ちなみにこの頃『伊藤屋』本館には島崎藤村が年に数度通っていたが、この事件を聞いて何を思っただろうか。(文・写真/上野哲弥) 【人物紹介】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━……・・・ ■≪土肥実平(とい さねひら)≫[?〜1201年?] 土肥氏初代当主。桓武平氏の嫡流中村氏の二男。平安時代の末期、相模国足柄下郡・土肥郷(湯河原)を領して土肥を称した。源頼朝から絶大な信頼を得ており、梶原景時とともに常に側に仕え軍監をつとめた。後年土肥郷内に城願寺を創建。一族からは、後に武田24将の1人となる土屋氏、安芸国に移り後に毛利家の筆頭家老となる小早川氏の祖が出ている。能・謡曲の「七騎落」の中心人物としても知られる。 ■≪牧野伸顕(まきの のぶあき)≫[1861〜1949年] 明治・大正・昭和の政治家。大久保利通の次男。吉田茂の岳父。牧野家を継ぎ、岩倉使節団に加わって1871年に11歳で渡米留学。1879年外務省に入省。福井・茨城県知事,文部次官,イタリア・オーストリア公使を経て1905年、第1次西園寺内閣の文相となる。1921年宮内大臣、1925年内大臣に就任、同年伯爵。1936年、2.26事件で襲われ、辛くも難を免れたが、その後は隠退生活を送る。 |
|
| 温泉地の歴史秘話をご紹介します。あなたの情報もゆこゆこネットで掲載いたしますので、ぜひご投稿ください。 |
その他の歴史秘話
万葉の時代から愛されてきた歴史ある温泉地
「足柄の土肥の河内に出づる湯の 世にもたよらに子ろが言はなくに」と、万葉集にも詠まれた古湯。その発見伝説は1.湯河原の温泉で傷を治したたぬきが美女に化けて広めたという説、2.僧行基が流浪者のらい病を湯河原の温泉で癒してやると薬師如来が姿を現したという説、3.弘法大師が滝で足を洗ったらその水がお湯に変わったという説などが残っている。江戸時代には湯治場としてにぎわい、江戸後期の温泉番付では「東の小結」に選ばれたとか。頼朝の秘話、二・二六事件などの舞台としても知られ、夏目漱石や島崎藤村を初め多くの文人、画家にも愛された湯河原。今も多くの人を魅了し続けている。
●住所:足柄下郡湯河原町 ●立ち寄り共同浴場数:0件