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花巻温泉の歴史秘話
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日時計に託した宮沢賢治の夢
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約1,200年もの歴史を持つ「花巻温泉郷」の中にあって、新鮮なリゾート温泉地の魅力を満喫できる花巻温泉。温泉地内にある人気スポット、「花巻温泉ローズ&ハーブガーデン」は、温泉街の北側斜面に造られた東北地方最大規模のバラ園だ。5,000坪以上に及ぶ広大な敷地に植栽された約450種、6,000株のバラが、6月中旬〜10月下旬の開園期間いっぱい美しく咲き続け、多くの湯客の目を楽しませてくれる。 この園内の一隅、陽光降りそそぐ南向きの斜面に、小さな日時計花壇が設置されている。「南斜花壇日時計」と名付けられたこの愛らしい日時計こそ、花巻出身の農学者にして文学者の宮沢賢治が、開湯間もない頃の花巻温泉に描いた、理想郷の夢の跡なのだ。 台温泉からの引湯によって花巻温泉が開湯したのは大正12年、花巻農学校で教鞭をとっていた賢治が27歳の時であった。その2年後には「花巻駅」から「花巻温泉駅」までをつなぐ花巻電鉄線が開通し、温泉地は花巻の奥座敷として、早くも脚光を浴び始める。やがて年号が大正から昭和に変わる頃、新興の花巻温泉を舞台とした巨大なプロジェクトが幕を開けた。盛岡の大実業家・金田一国士が、この地に「東北の宝塚」を造り上げようという壮大な夢のもと、大々的な開発事業に着手したのだ。旅館、貸別荘、動植物園、ゴルフ場、テニスコート、プール、住宅、30ヶ所以上の入浴場などが次々と建設され、そして温泉地の目玉として「台公園」が造られた。昭和5年当時の花巻温泉の活況を映した、現存する貴重な映画フィルムには、温泉地といえばまだ鄙びた湯治場のイメージが圧倒的だった時代において、21世紀の現代とほとんど変わらないほどの近代的リゾートがこの地に造られようとしていた様子が記録されている。 花巻郊外に驚くべき新リゾートが着々と建設されていることは、当然のことながら賢治の耳にも届いていた。当時の賢治は、花巻を含む岩手県全域に、希望と幸福に満ちた理想郷(イーハトーブ)を造り上げるという夢を持っていた。大正15年に花巻農学校を依願退職して「羅須地人協会」を設立し、農民の生活向上に本格的に取り掛かり始めた賢治にとって、画期的な近代的リゾート「花巻温泉」の建設は、周辺農民の生活改善にも結びつく、大きな希望を与えるニュースだった。 そして賢治は、花巻温泉リゾートの建設に積極的に参加するようになる。理想郷「イーハトーブ」の象徴として、この新興リゾート地を花で飾り、健康と喜びに満ちた町にしようと考えた彼は、昭和2年、「台公園」の東側に日時計を備えた「南斜花壇」を作り、最も愛したバラ「グルス・アン・テブリッツ(日光)」を植えた。この日の感慨を賢治は次のような詩に残している。 『こぶしの咲き きれぎれに雲のとぶ この巨きななまこ山のてに 紅い一つの擦り傷がある それがわたくしも花壇をつくってゐる 花巻温泉の遊園地なのだ』 岩手に日本有数の近代的温泉リゾートを造る金田一の夢、幸福の理想郷「イーハトーブ」を造る賢治の夢。ふたつの大きな夢は生まれたての花巻温泉で幸せな出会いをし、ほんの短い間ではあったが、美しい花を咲かせていた。 しかし昭和の年数が進むにつれ、日本は深刻な不況の中に埋没していった。特に東北の農村の惨状はひどく、その只中にあって賢治は奔走し、疲れて病み、昭和8年、37歳の短い生涯を終えた。理想郷「イーハトーブ」は、彼にとって文字どおり見果てぬ夢に終わってしまったのだ。一方、金田一も経済恐慌の中で大きな財を失い、昭和15年に他界。そして戦争の暗雲は平和な温泉リゾートをも覆いつくし、すべては過去の夢となっていった。 だが平和な時代の再来とともに、賢治の夢が再び花開く時がやってきた。戦争が終わって10年余り、昭和31年になって、荒れ果てていた賢治の「南斜花壇」を、バラ園として甦らせようという計画が具体化したのだ。かくて計画は実行に移された。賢治が作ったままに日時計は再興され、そして賢治が愛したバラ「グルス・アン・テブリッツ」が、再び園内を彩った。戦後の復興期にあって、社会改良家としての宮沢賢治が再評価されつつある中での日時計復活であった。 その後、「宮沢賢治」の名は、「温泉」と並ぶ花巻の二大観光キーワードとなり、市内には「宮沢賢治記念館」や「イーハトーブ館」「童話村」など、彼にちなんだアミューズメント施設が数多く造られた。その中にあって、観光スポットとしての「南斜花壇日時計」は決して華やかな存在ではない。しかし、そこに立って「宮沢賢治設計 昭和2年 南斜花壇跡地」の碑を目にすれば、賢治の抱いた美しい夢が、今もこの地に息づいていることをしみじみと実感できることだろう。 【人物紹介】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━……・・・ 《宮沢賢治(みやざわ けんじ)》[1896〜1933年] 詩人・童話作家・農業指導者・教育者。郷土岩手を強く愛し、作中に登場する理想郷を「イーハトーブ」と名づけた。農業や農民の生活改善にも尽力。代表作に『春と修羅』『雨ニモマケズ』『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』など。 《金田一国士(きんだいち くにお)》[1883〜1940年] 実業家。盛岡銀行頭取、盛岡会議所会頭などを歴任し、また盛岡電灯、岩手軽便鉄道、盛岡信託、盛岡貯蓄、花巻温泉、花巻電鉄社長のほか運輸交通・電気・ガスなど県内の関係事業数35に及び、岩手の経済発展に寄与した。 |
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宮沢賢治の故郷“イーハトーブ”に湧く温泉
「雨ニモマケズ 風ニモマケズ…」。“デクノボウ”と呼ぶ理想的人間像を詠んだ宮沢賢治の「雨ニモマケズ」は、今も世代を超え多くの人に詠まれている。人道主義と博愛主義を目指した農業青年、宮沢賢治が理想郷“イーハトーブ”と名付けた生まれ故郷、岩手県花巻市。その北西部に花巻温泉が湧く。現在は桜や松の並木が整備され、賢治が設計した日時計花壇のあるローズ&ハーブガーデンを隣接する北東北随一の温泉リゾート地。東北自動車道・花巻I.Cからも近く、観光拠点としても便利だ。「慾ハナク決シテ瞋ラズ イツモシズカニワラッテイル(中略)ソウイウモノニ ワタシハナリタイ」。賢治が愛した故郷とじっくり向き合う旅もよい。
●住所:花巻市湯本 ●立ち寄り共同浴場数:0件