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白骨温泉の歴史秘話
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「白骨温泉」の名を定着させた中里介山の大河小説『大菩薩峠』
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長野・岐阜の県境にまたがる飛騨山脈・乗鞍岳の東中腹、梓川の支流・湯川渓谷に湧く白骨(しらほね)温泉。「白船(しらふね)温泉」とも書き、温泉地内には今でも名前に「白船」と冠した宿がある。カルシウムを含んで白濁した泉質が温泉地名の語源とされ、石灰華が凝固して木の湯船が白い湯船になることから「白船」、石灰華の模様や感触があたかも人骨のようであることから「白骨」と呼ばれるようになったといわれる。 明治30年代刊行の吉田東吾編『大日本地名辞書』には「白骨の温泉、白船の湯ともいう」とあり、この頃までは両方の名称が並んで用いられていたのが分かる。そんなこの地を「白骨」として定着させたのが、中里介山の大河小説『大菩薩峠』だ。 必殺剣「音無しの構え」の使い手にして、深い虚無の念にとりつかれた色白端麗な剣士・机竜之助を中心に、幕末の甲州・大菩薩峠から始まる彼の漂泊と、周囲の人々の生き様を描いた『大菩薩峠』。大正2年(1913)に連載が開始され、いくつか掲載紙を替えながら足かけ29年にわたって発表されたが、作者死去によって遂に未完に終わった。竜之助の妖しいまでの殺気、さまざまな背景をもった個性的な脇役たち、人間の業(ごう)、幕末の動乱、ユートピア思想……などが描かれたこの作品は全41巻、原稿用紙で実に約1万5千枚に及ぶ。単なる時代小説の枠をこえたスケールの大きな文学作品として、今なお読者を魅了してやまない一大長編である。 この『大菩薩峠』に白骨温泉がはじめて登場したのは第22巻「白骨の巻」。失明した竜之助が、彼の世話をする「お雪ちゃん」と下僕の久助に伴われて、甲州上野原の月見寺から白骨温泉へ目の治療を兼ねた湯治へ到る道行きの話が描かれ、途中、塩尻峠での壮絶な斬り合いの果てに次巻「他生の巻」でようやく白骨温泉にたどり着く。 作者の中里介山が白骨温泉の現地取材に訪れたのは、「白骨の巻」を脱稿して後の大正14年8月2日。1泊して「他生の巻」の構想を練ったという。 《ことに、竜之助はここ〔白骨温泉〕へ着くと、まず第一に、「これから充分眠れる」という感じで安心しました。〔略〕聞くところによれば、ここは飛騨と信濃の境、晩秋より初春まで、住む人もなき家を釘づけにして里へ帰るのだと。恰(あたか)もよし、これからようやくその無人の冬が来るのである。三冬の間をじっくりと落着いて、ここで飽くまで眠り通すに何の妨げがある。》(「他生の巻」より) 竜之助ほどの無頼な男が安堵して隠れ住み、わずかばかりの平穏を得る。そして、曰くありげな脇役たちと炉辺で語り合う…。宿の主人の述懐では、「他生の巻」に見られる机竜之助の描写は、介山自身の姿を思い出させたという。その後、作品ではしばらく白骨温泉が舞台となり、よく広告などで使われる《五彩絢爛(けんらん)として眼を奪う風景》という温泉地の描写も登場する。 この温泉を作品の舞台として選んだのかという理由について、介山は何も書き残していない。しかし、作中で登場人物に白骨を何度も「ハッコツ」とわざと読み間違えさせ、介山本人も《シラホネをハッコツと呼びならわしたのは、大菩薩峠の著者あたりも、その一半の責めを負うべきものかも知れない。》(「めいろの巻」)などと書いている。おそらくは「白骨」という不思議な名前、“肉”を捨て去った“骨”という語感、現実と非現実の境界に位置するかのような山深い渓谷のロケーションが、『大菩薩峠』の虚無的な世界観とよく合致したのだろう。「白骨」の名は、この他「流転の巻」「みちりやの巻」「めいろの巻」「鈴慕の巻」「年魚市(あいち)の巻」「畜生谷の巻」「勿来の巻」「弁信の巻」にも登場。介山にとって、よほど強い印象を残した場所だったのだろう。 「白船温泉」の名前でも充分に美しく、《五彩絢爛たる島々谷の風光の美》(「他生の巻」)を表すならばむしろ「白船」の名前の方がふさわしい。それでもあえて、介山は「白骨温泉」と記した。その後、この温泉の存在はすっかり有名になり、「白骨」の呼び名が人々の間に定着していくことになる。介山の没後10年の昭和29年(1954)、その功績を讃えて温泉街に中里介山の文学碑を建立。「白骨温泉」に改めて『大菩薩峠』ゆかりの地という個性が与えられたのである。(文・/二木三介) 【人物紹介】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━……・・・ ■《中里介山(なかざと かいざん)》[1885〜1944年] 明治〜昭和期の小説家。本名・弥之助。現在の東京羽村市の農家に生まれる。小学校卒業後、電話交換手・代用教員などで生計を立て、キリスト教や社会主義に傾倒。『平民新聞』の懸賞作品から作家となる。代表作に、かつては世界最長の小説だった『大菩薩峠』、他に『氷の花』『高野の義人』『夢殿』『黒谷夜話』など、自伝的随想に『百姓弥之助の話』、主催雑誌に『隣人之友』がある。生涯を通じてトルストイの影響が深いとされる。 |
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明治、大正時代の文学者が愛した渓谷に湧くいで湯
開湯から数百年の歴史を持つ白骨温泉。北アルプスの南、乗鞍岳の標高1,400メートルにある渓谷に湧く。温泉の石灰分の結晶が湯船を白くすることから、昔は「白船(しらふね)」と呼ばれていた。大正時代の新聞連載小説「大菩薩峠」に、「白骨温泉」の名で登場し、そのまま現在の名称となった。手つかずの自然に囲まれた秘境にあり、与謝野晶子など、明治時代の著名な文学者などから愛されていた温泉地でもある。渓谷の深い底から湧く湯煙に誘われるまま、野趣あふれる露天風呂で白濁した湯にしばし浸かると、身も心もじんわりと解きほぐされてゆく。古くから地元の人々に大切にされてきた日帰り入浴ができる浴場の数も多いので、時間がある時はのんびりと湯巡りを楽しんでみよう。
●住所:長野県松本市安曇 ●立ち寄り共同浴場数:1件