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千倉温泉の歴史秘話
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愛馬の傷を湯で癒し、力を蓄えた頼朝出陣の地
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房総半島の南東端に位置し、のびやかな海岸線に縁どられた港町千倉。大正時代に発見された硫黄泉が発祥というから、温泉町としての歴史は浅いが、この地には源頼朝の入湯伝説が根強く残る。「湯河原温泉」の頁で書いた通り、治承4年(1180年)石橋山の戦いで敗れた頼朝は、土肥実平らに護られて海路安房へ落ち延びた。その落ちた先が千倉を始めとする房総半島である。 8月28日、相模の真鶴より小舟に乗り、安房・上総に向けて漕ぎ出した頼朝一行は、翌29日に安房国平群郡猟島(現・鋸南町竜島)の一角に到着した。頼朝は、幾度か危難に遭いながらも2週間ほど滞在し、房総半島各地を回った。さすがに源氏の棟梁頼朝の信望は根強く、安西景益、千葉常胤、上総介広常など安房・上総の武士団3万が、こぞって彼の元へ集結する。そして9月13日に安房を出立して上総に向かい、相州鎌倉に帰った。 千倉に頼朝が訪れたのは、9月11日に諸将をともなって丸御厨への巡視を行なった時だと思われる。このとき、頼朝の乗っていた愛馬は足を痛め、歩行が不自由になっていた。そこで、近くに湧いていた清水に馬の足を浸して洗ったところ、馬は元気を取り戻したので、頼朝はこの水を沸かすよう命じて自らも入湯し、疲れを癒したという。これが千倉海岸温泉発祥の逸話ともいえる。川尻川の下流に建つ『千倉館』という宿は、頼朝が湯に浸かって力を蓄えたこの故事にちなみ、大浴場に「出陣風呂」と名付け名物にしている。かすかに硫黄を含んだ湯は淡黄色で、神経痛やリウマチ、切り傷などに効く。 JR千倉駅前にある「牧田村下立松原神社」は、やはりその巡視の折り、頼朝が立ち寄って平家追討、武運長久を祈願した社だ。境内正面に樹齢600年もの大きな杉が二本そびえ、その奥に社殿がある。拝殿のない質素な造りで、本殿が木造の覆屋の中に鎮座する。境内には、馬を湯治させた故事を思わせる遺構「頼朝公馬洗池」跡がある。また、頼朝自ら寄進したとされる「御霊白幡大明神」の社殿も建っている。ここには、頼朝が鎌倉幕府を開いた後に、ご利益を祝して源頼義・義家の木像、薬師如来像、大般若経600巻を奉納したという。頼朝が自ら写経したといわれる経典は、年々転読されてきたが、年月を経るに従って破損がひどくなり明和9年3月、石函に納め経塚の下に保管された。確かな文献にはないが、神社の由来書に記された故事である。 わずか2週間ほどの滞在ながら、頼朝にとって安房は再起の地であり、天下を取った後もおろそかにできない思いがあったに違いない。(文・写真/上野哲弥) 【人物紹介】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━……・・・ ■≪源頼朝(みなもとの よりとも)≫ [1147〜1199年] 義朝の三男。妻は北条時政の娘政子。鎌倉幕府の初代将軍。神号は白旗大明神。平治の乱で平家に捕らわれ伊豆の蛭ヶ小島に流される。1180年平氏討伐の兵を挙げ、関東を平定して鎌倉に本拠を構えた。弟の範頼・義経を指揮官として派遣、壇ノ浦に平氏を滅ぼした。1192年に征夷大将軍に任じられて幕府を開き、武家政治の創始者となる。 |
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海の幸豊かな漁港にほど近い房総一の古湯
黒潮あらう南房総、千倉漁港のほど近くに一軒宿「千倉館」が建つ。宿の周辺に広がるのは、漁港を中心とした古きよき漁師町の風情を今に残す街並み。「漁港のそばの食堂で、朝食にアジのひらきとお味噌汁を食べて」と千倉での朝の過ごし方を紹介したのは、作家・村上春樹氏のエッセイ集『村上朝日堂』中の一篇。年間を通して降り注ぐ明るい陽光の下、健康的で素朴な時間を過ごせることが千倉の最大の魅力といえる。夏の海水浴シーズンはもちろん、南房総の野を可憐な花々が彩る早春や、水揚げされる魚に脂が乗って旨みを増す秋や冬もお勧め。寄せては返す波の音を耳にしながらの湯を浴び、新鮮な海の幸に舌鼓を打つ。海辺の温泉宿で堪能する至福の時間が、ここにはある。
●住所:南房総市千倉町南朝夷 ●立ち寄り共同浴場数:0件